こんにちは!今日もご訪問いただきありがとうございます。
「爆報!THEフライデー」が人気です!伏見直樹さんが、紹介されます。
元祖カリスマホストとして「歌舞伎町のジゴロ」という伝説を作った方ですが、
若者は存じていないことでしょう!
当時は、歌舞伎町で知らない人がいないくらい有名でしたが、
現在は4,5万円のボロアパートに住んでいるそうです。
分からないものですね!こんな人生の転落があるなんて?
早速、人物とその人生に迫ってみますね!
伏見直樹のwiki風プロフ

◆ 名前:伏見直樹(ふしみなおき)
◆ 生年月日:1955年10月16日(61歳)
◆ 出身地:北海道→東京
◆ 血液型:B型
◆ 学歴:中学校卒業(名不明)
◆ ホームページ:FB 、TW はコチラ
伏見直樹さんは、15歳の時に家族で東京へ引っ越してきたのですね!
御両親と10歳上のお姉さんがおられます。
栄養士になりたいとお父さんに言ったのですが大反対されて、家を飛び出したそうです。
お父さんは、自分の仕事のお手伝いをしてほしかったようです。
ジゴロというホストの世界は?

家を飛び出し、どんな生活をしていたかは定かではありませんが、ホストの世界に入ります。
身体的条件と、その道の才能を発揮し、活躍します。
丁度、79~90年代ですから、日本の産業も盛んになり夜の街も活況を呈していたころです。
人気が出ると、一晩で500万円も稼いだそうです。
普通のサラリーマン委は想像もできないくらいですが、伏見さんの場合は、
さらに女性にもモテたようで、女性の合鍵を50本も持っていたとか?
ここまで聞くと“マユツバ”に思えますが、本当で、外車を乗り回し、
ブランド物で埋まっていたそうです。
聞きなれないので【ジゴロ】を調べて見ました。
「ジゴロとはフランス語の”gigolo”からきた言葉である。本来、フランス語では
「(年上の女性に養ってもらっている)若いつばめ」のことで、“ヒモ”の表現もあります。
ひもとは、女性に働かせ、金銭を貢がせる情夫のことで、年代によって呼び方が若干差があるだけで、
同じ意味ですね!」
ともかく、並の男ではできないことで、それなりに女性を惹き付けないといけませんねWW
歌舞伎町の歌手デビュー

なんと、伏見直樹さんは、歌もうまいのですね!
1973年12月には「瞳アリス」の名前で歌手デビューしているのです。
当時の「恋はあやつり人形」画像があります。本人も希望していたし、結構聞ける歌だったようです。
18歳と言いますから、女性好みのイケメンですね!
レコードは以下のようにあります。
• 1973年リリース「恋はあやつり人形」
• 1979年リリース「女になりたい」
• 1982年リリース「愛の方程式」
• 1989年リリース「夜の小劇場」
この中で、「女になりたい」は5000枚の売り上げだったようで、
こんなに売れると、もっともっと評判になってもよかったでしょうね!
「愛の方程式」の動画があります。
能力のある人は何でも実行しますが、執筆活動もしていたそうです。
1981年委出版した「ザ・ジゴロ」は30万部を売り上げてそうです。
売上金額でもかなりの額が懐に入ったと思いますよ!
伏見直樹の現在は?
ところが、現在が気になりますが、
アパートでひっそりと暮らしているようです?
華やかな“ジゴロ”時代がバブルの崩壊とともに、ドン底に落ちたのでしょうか?
居酒屋を経営しているようなのです。
「レトロ酒場 三本杉」の居酒屋経営は?

2012年委は、57歳になられて人生の転換を迎えます。
“雀荘”をたたみ、芸能生活も終わりをつげ、引退します。
女性関係も一切断ち切り、反省と今後の進め方を考えるために旅に出たそうです。
この行動は、同情に値しますが、何か寂しさを感じますよね!
こんなに人気を博し、稼いだのに先の準備をしていなかったのは、悔やみきれない
“大失敗”と言われても反論がありません!!
2015年には、“居酒屋”を始めたそうです。
「レトロ酒場 三本杉」
どこで身に着けたのかわかりませんが、北海道の郷土料理が自慢で、
人気はそこそこで、なんでも一品300円の激安居酒屋だそうです。
カラオケも備えられているそうで、
元々歌手でもあったので、ご披露することもあるのでしょうか?
お客さん次第でしょうね!
まとめ
人生いろいろと言いますが、伏見直樹さんの人生も“波乱万丈”ということが出来そうです。
自分の持っている経験を活かし、「レトロ 酒場三本杉」を経営されておりますが、
すでに、61歳になられました!
皆さんの支持をいただき頑張っておられるのは、“素晴らしい!の一言です!!
頑張ってください、応援致します。
最後までお読みいただきありがとうございます。