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11月26日放送の
「誰も知らない明石家さんま 初のロングインタビューで解禁!」
が放送されて、世間では、“そうだったんだ!!”と感嘆の声が多数聞かれます。
それほどに“期待”もしたが“ショッキング”なことも多かったのです。
そのなかで、“島田紳助さんの復帰”を期待し、
“さんまのまんま”を2年間美引き延ばしていたというのです!
その真意と、島田紳助さんの現在について調べて見ました!
◆ショーンKはアメリカで?関連記事は以下にあります。
ショーンKの11月現在の様子は?「仕事が殺到」しお金もあるとは本当か? 【女性自身】
明石家さんまのwiki風プロフ

◆明石家さんま:(あかしやさんま)
◆本名:杉本: 高文(すぎもとたかふみ)
◆ニックネーム:さんまさん、お笑い怪獣、眠らない九官鳥、
◆誕生日: 1955年7月1日(61歳)
◆出身地: 奈良県奈良市
◆血液型: B型
◆身長 : 172cm
◆学歴:奈良県立奈良商業高等学校卒業
◆デビュー: 1974年~
◆著名な家族 : IMARU
◆事務所:よしもとクリエイティブ・エージェンシー
◆動機:関根勤、島田紳助、オール阪神巨人、
◆職業:日本のお笑いタレント、司会者、俳優、歌手、ラジオパーソナリティー、元落語家、テレビ番組企画・構成作家(本名名義)。
元々は落語家を志して2代目笑福亭松之助門下となったが、初代笑福亭さんまでした。
師匠の推薦でお笑いタレントに転向し明石家さんまとなったのです。
1979年、関西テレビで午後7時から放送された番組『誰がカバやねんロックンロールショー』で初の司会役に抜擢されたのです。
1981年に出演したバラエティ番組『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)にレギュラー出演した事で、一躍人気が爆発。
NHKの『好きなタレント調査』でトップ陥落することもあったが、1995年には6年ぶりに1位を記録、1998年以降は再び5年連続して1位になるなど返り咲いている。
その後は、長寿番組『笑っていいとも!』にもレギュラーとして出演するなど、高い人気を続け、現在もお笑いビッグ3の一人として、冠番組を複数持っている。
また、デビュー間もない1978年頃から、ドラマや映画にも出演し、1980年のドラマ『のんき君1』で初主演。その後も度々、ドラマなどにも出演している。
島田紳助さんの復帰期待とは?
「誰も知らない明石家さんま 初のロングインタビューで解禁!」で、
2011年に暴力団との交際が発覚し、芸能界を引退したのですが、
同期(1974年に吉本興業に入った!)だったので、仲が良く、
紳助さんがこもったことや嫌なことがあったら、夜中でも、さんまさんに電話してきていたそうです。
おそらく、芸能界を引退するときも、当然のことながら相談していたのでしょうが、
内容等については一切漏れておりません。
しかし、さんまさんは、
「紳助は(引退から)1年ぐらいしたら帰ってくるだろうと思ってた。」
電話では、引退に一時は同意したが、“紳助さんの心”を読み取っていたのでしょうか?
ぶっちゃけ、
「紳助が帰ってくるとこはここ(さんまのまんま)やと思ってたから」と切り出し、「『さんまのまんま』2年延ばしたのは、紳助帰ってくると思ったから。(だから)2年頑張ってやりました」
と秘話を明かした。
このことは長年の親友のことです!当然そうなると思い込んでいた節があります。
紳助さんの芸能界引退から5年。
さんまは
「紳助もう(芸能界に)帰ってこないだろうし、
紳助とは気持ちが…意見が違うと思う。今は帰ってこない、と思う」
としみじみ語ったのです!
この間の心境の変化には何があったのでしょうか?
私たちは、その謎が知りたいですよね!
現在は「全然会ってない」というが、お笑い界を牽引してきた同期の仲間について
「お互い認め合いながら、けなし合いながら、これたのが、非常に幸せだったなと思いますね」
と振り返った。
この表現が“過去形”であるのが気にかかりませんか?
一般的に相手との関係で“過去形”で表現するときは、
すべてが終わった時なんですよね!
そんなことから、諦めたのでしょうね!
「さんまのまんま」は1985年4月にスタートし、30年以上も人気を保持してきていたのに、
今年9月にレギュラー放送としては幕を下ろしたのです。
なにか、さんまさんには“寂しさ”を感じさせる表情でしたね(-_-;)
島田紳助さんの現在は?
日本テレビ系バラエティー番組「行列のできる法律相談所」で島田さんと共演していた菊地弁護士は、
「たまにメールで連絡とっています」
「ハワイくらいかな」
当初は、沖縄・石垣島にある別荘に住み、お店を経営しておられたようです。
大変順調でそこそこにお客も来られて生活するには十分だと友人には話していたそうです。
吉本興業の社長が「復帰してもらいたい」と語ったり、
後輩の映画前に引退前に収録した声のみで出演したりなど復帰を匂わす言動もあり、
そのたびにネット上では批判が巻き起こっている。
一方、当の本人はというと、引退後の独占インタビューにて、
引退直後のメディアストーカーには疲弊したものの、今は家族と旅行したり、
経営している料理店が好調なことから芸能界の世界に未練は無く、復帰はないとした。
雑誌『女性セブン(2013年2月14日号)』によると、
「昨年5月に奥さんと共同名義で、このコンドミニアムの上層階の一室を購入したんです。
しばらくは、そこを拠点にハワイで生活していくみたいですよ。
“こっちの生活が楽しいから全然、芸能界になんか戻りたくない”と言ってましたね」
と報道しておりました。
2015年春には”裏方”限定ですが、作詞家として仕事復帰していた島田紳助さん。
タレント復帰は否定したそうですが、いまだに島田紳助の復帰を願う人がいるのも事実です。
島田紳助はなぜ辞める必要があったのか?との声も多いのです!
暴力団と内通していたということが発覚してしまったのですね。
島田紳助さんは引退はもともと考えていたようですがこれが引き金になったのです!

悪いことをしたわけではないのです。
島田紳助さんは心優しい人?
気持ちのわかる人?
であり、個人的意見としては小気味よさを感じ、
“話術の巧さ“
“笑わせる才能の秀超さ”
では、さんまさんに次ぐ才能の持ち主だと思います。
もしかしたら、未来にまたテレビで島田紳助さんの姿を見る日がくるのかも……
期待したいものですね!
まとめ
誰も知らない明石家さんま 初のロングインタビューで解禁!は、
最近にない面白さであり、皆さんが知りたいことのデパートとなったことでしょう!
本当にたくさんのことを知らせて頂きました。
もっともっと“書きたく”“報告したい”と思います。
島田紳助さんの復帰を期待する者の一人として、
この情報を真っ先に報告いたします。
さんまさんの大ファンであり、紳助さんとの再会を願っております
最後までお読みいただきありがとうございます。