こんにちは。今日もご訪問いただきありがとうございます。
リオ・オリンピックも閉会式で終わりを告げました。数々の感動をいただき“ありがとう”と心より言いたいと思います。
吉田沙保里は、負け知らずの快進撃を続けてきましたが、遂に銀メダルに終わりました。
その瞬間、マットにうずくまり暫く顔を上げることが出来なかった。
銀メダルを獲得しながらも、表彰台でもインタビューでも号泣し「ごめんなさい」と謝り続けた吉田沙保里、閉会式では“笑顔”が見れましたことには安どしました。
試合中の“父の遺影”は印象的でした。
お父さんの肩車が見れなかったのは、残念でした。
ここで、8月28日の情熱大陸では2年間にわたる取材が放送されます。
先立ち、お父さんの偉業について調べて見ました
目 次
【① 吉田栄勝さんのwiki風プロフ】
【② 吉田沙保里の快進撃と父の指導とは?】
【③ 吉田沙保里の孤独な闘いとは?】
【④ まとめ】
今回はこの4点について紹介いたしたく思います。
吉田沙保里関連記事は以下です。
⇒吉田沙保里のアルソック退社理由は父の急死か?父親の職業とは?
⇒山本聖子はダルビッシュと入籍し子供をもうけたが、ヘレン・マルーリスの指導も行っていた?
吉田栄勝さんのwiki風プロフ

◆ 名前: 吉田 栄勝(よしだえいかつ)
◆ 生年月日: 1952年3月22日(61歳没)
◆ 出身地:三重県津市
◆ 学歴:専修大学経済学部
・日本のレスリング選手、指導者で、吉田沙保里の父です。
出身が、青森県八戸市なんですね!八戸電波工業高等学校を卒業されております。
三重県にはどのようないきさつで移住されたのでしょうか?
元々、青森県はレスリングが盛んで、伊調 馨などを輩出しております。
・専修大学時代にレスリングをはじめ、男子フリースタイルで57㎏級選手として、1973年に優勝したのです。
・同年にテヘラン(イラン)で開催されたレスリング世界選手権及びウランバートル(モンゴル)で開催されたレスリングアジア選手権に男子フリースタイル57㎏日本代表として出場。アジア選手権では銀メダルを獲得している。
このように実績も輝かしいものがあり、専修大学黄金時代の立役者の一人と言われております。
・大学卒業後(1974年?)に、三重県の職員として就職したのです。これが青森から三重県に移住したキッカケとなったのですね!普通のサラリーマンと同様ですよ!
さっそく、『一志ジュニア』の看板の元、ジュニア向けレスリング道場を開き、自身の子息を含めて、多くの子供たちを指導したのです。
・子供が好きでないと、中々出来ないものですよね!レスリング好き!子供好き!が重なった結果ですね!
・2009年には、レスリング日本代表コーチに就任し、2010年には、アジア選手権女子チーム監督を務めました。20112年にはロンドンオリンピック女子代表チームコーチを務めました。
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幼少時代のVTRで父である故吉田栄勝さんのすこし訛りのある叱咤激励の声を耳にして「ん?」とおもわれた方もいらっしゃるかもしれませんが、栄勝さんは青森県八戸市の出身なんです。そう、伊調姉妹とおなじ。もともとレスリングが盛んな土地柄ではあったのですが、ますます盛んになりそうですね。
— しじみちゃん本舗(公式) (@shijimi4438) August 19, 2016
吉田沙保里さんの父、吉田栄勝さんのエピソードまとめ – NAVER まとめ https://t.co/TaanzKX1Pp
— 12代当主ふとん(有袋類) (@xtohu) August 18, 2016
吉田沙保里の快進撃と父の指導とは?

・吉田沙保里は、1998年、1999年の世界カデット選手権で優勝の後、2000年、2001年の世界ジュニア選手権を2連覇する快進撃を始めておりますので、レスリング道場の成果が着々と開き全盛を誇っていたのです。
吉田沙保里の連勝記録を見ると輝かしいものがあります。
①2001年の全日本女子選手権56kg級準決勝で山本聖子(日本大学=当時)に判定(2-3)で負けて以来、公式戦119連勝を記録。
②1996年より国際大会における27大会連続優勝も記録した。しかし2008年1月19日に中国の太原で開催された女子ワールドカップ団体戦においてマルシー・バンデュセン(アメリカ)に判定で敗れ連勝記録がストップ、また国際大会における初黒星を喫した。
③その後再び連勝街道を突き進み58連勝を記録したが、4年後の2012年5月27日に東京で開催された女子ワールドカップ団体戦決勝においてロシアのワレリア・ジョロボワに2-1の逆転負けを喫した。
④2016年8月18日のリオデジャネイロオリンピックの決勝では、15年ぶりに個人戦で敗北。個人戦の連勝記録は206でストップした。吉田を破ったアメリカのヘレン・マルーリスは、15年前の2001年の全日本女子選手権56kg級準決勝で最後に吉田を倒した山本聖子の元教え子であった。
世界大会(五輪+世界選手権)の優勝記録では、2012年の世界選手権において、男女通じて史上最多となる13大会連続優勝を達成し、カレリンが保持していた12連覇の最多記録を破った。
その後、世界大会の連勝記録は2016年のリオデジャネイロオリンピックで土がつくまで、男女史上最多の16大会連続優勝を成し遂げた。
一方で、世界選手権の優勝記録は現在史上最多の13連覇で継続中。
オリンピックの優勝記録は、2012年のロンドン大会まで3連覇を成し遂げるも、カレリンと同じく4連覇には手が届かなかった。
ちなみに、2016年のリオデジャネイロオリンピックにて女子レスリングの伊調馨が4連覇を達成しており、史上6人目の夏冬すべてのオリンピック競技を通じた個人種目でのオリンピック4連覇を成し遂げた選手となっている。
以上の実績は、父・栄勝さんなしでは語れないのは勿論で、
・
「2014年3月11日午前7時15分頃、三重県津市の伊勢自動車道の路肩に停車した自動車の中でぐったりしている所を発見され、病院に搬送されたが死亡が確認された。死因はクモ膜下出血とされ、亡くなったのです。(61歳没)」
この能登がどんなに影響を与えたかは計り知れないものがあります。
吉田沙保里の孤独な闘いとは?

吉田沙保里が銀メダルにとどまったときは、日本中が大きなショックを覚えた!

「お父さんに怒られる」
負けた直後には、母の胸で泣き、小さく叫んだ彼女の言葉に、声を失った。
吉田と父・栄勝さんの絆、目指し続けた一途な道は、他人にはわからない覚悟の強さがあるだろう。
遺影・形見は常にお兄さんに抱かれて会場にあったのは皆が見ております。
「取り返しのつかないことをしてしまった」
「日本選手団の主将として、絶対に金メダルを獲らなければいけなかったのに、本当にすみません」
お母さんお兄さんとは?の質問に
「「ごめんね」と言ったら、「ここまで連れて来てくれただけでいいよ。ありがとう」と言ってくれました。」
天国のお父さんがなんと言っていると思うかの質問には、
「最初は多分「ご苦労さん」って。「ここまでよくやった」と言ってくれると思うんですけれど、最後の負けが……。やっぱり勝って終わるのと負けて終わるのは違うよと言っていたので、そこは怒られるかもしれません。」
と述べるのでした。
彼女自身がリオ五輪での4連覇の難しさを相当、現実的に自覚していたように思われる節が見受けられるのです。
昨年の全日本選手権で優勝し、リオ五輪代表の権利を確定してから、「大会にはもう出ない。リオ五輪では一発勝負で金メダル獲得を目指す」という、異例の決断をしております。
お母さんは、「それで大丈夫?」と心配していたのです。
父親がいれば、何か心に火をつける言葉があったかもしれない。
その父はいない。私たちはこの行動を見てどう考えるといいのでしょうか?
我々が想像する以上の厳しさに吉田は直面し、 孤独な戦い を続けていたのではないだろうかと思ってしまうのは私だけだろうか?
打倒吉田が、追ってくる若者の目標であることはわかっていたといいます
「もちろん、それはずっと恐怖で。すごくプレッシャーがありました。」
とも言っております。
(吉田を破った ヘレン・ マルーリス選手の画像もおまけに・・)
<TW>
吉田沙保里さんの泣く姿を見るのが辛い……誰より強さを求めて頑張って、王者という孤独な位置に君臨し続けて、打倒吉田で向かってくる全世界の選手たちを相手にするのは、本当に大変だったと思うし怖かったやろうなぁと思う……日の丸を背負って全力を尽くした彼女は、本当に日本の誇りだ!!
— りんご (@akilingoo) August 18, 2016
千代の富士が引退会見の時見せた涙に、師匠の九重親方は驚いたという。
ここまで栄華を極めた男が、まさか悔し泣きするとは、と。
吉田沙保里選手も、常人には理解し得ない頂点に君臨し続けることの孤独やプレッシャーと死に物狂いで戦ってきたのだろう。— マッサン (@totoma_m) August 18, 2016
常勝。
これほど不可能なことはない。勝ち続けることは、いつか来る敗北を畏れねばならないわけで、そこに向かう孤独たるや想像すら出来ない。
果たしてやって来た敗北に、人は言葉を持たない。世界に誇っていい。その銀の輝きは、黄金よりもあなたを照らすだろう。
吉田沙保里選手、お疲れ様。— 9-ri (@kuri10pa) August 18, 2016
まとめ
「スポーツの目的、オリンピックの意義が金メダルだけではないこと」を今回の銀メダルで学ばせていただいたのです。
それこそが、日本選手団の主将として、2020年東京五輪に向けて大切なメッセージを与えてくれたと感じる。吉田は、主将として充分な役割を果たしてくれたのである。
本当によくやったと言いたいですね!
国民栄誉賞の話が出ておりますが、当然その資格に余るほどのものがあります。
今後ますます活躍されて、たくさんの感動を与えてほしいものですね!
最後までお読みいただきありがとうございます。
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