モハメド・アリ死去!病気はパーキンソン病?名言やオリンピック感動場面とは?

こんにちは。今日もご訪問いただきありがとうございます。

元ヘビー級チャンピオン・モハメド・アリさん(74歳)が死去されました。

新聞も大々的に報じており、戦績は、トップではないですがこれほど有名なのは、訳があります。

数々の名言、ボクシングスタイルの変革、アントニオ猪木さんとの「格闘技世界一決定戦」で戦い、異種格闘技と言うことで、世界を風靡しました。

         目    次

【① モハメド・アリのwiki風プロフ】

                <ボクシングを始めたきっかけは?>

【② アントニオ猪木の挑戦状とは?】

【③ マハメド・アリの病気(パーキンソン病)とは?】

                <パーキンソン病とは?>

【④ モハメド・アリの名言集】

【⑤ まとめ】

今回はこの5点について紹介いたしたく思います。

モハメド・アリのwiki風プロフ

 

モハマド・アリー2

● 名前: カシアス・マーセラス・クレイ・ジュニア

● 通称:ザ・グレーティスト、ザ・ピープルズ・チャンピオン、ザ・ルイビル・リップ、

● 生年月日:1942年1月17日(74歳)

● 出身地:アメリカ合衆国・ケンタッキー州ルイビル

● 身長:190cm

● 試合数:61、勝ちー56、KO勝ちー56、敗けー5

● 職業:元プロボクサー・元世界ヘビー級チャンピオン

1964年:ネーション・オブ・イスラムへの加入を機に、モハメド・アリに改めた。

1960年:ローマオリンピック・ライトヘビー級金メダル獲得した。

1964年:ソニー・リストンを倒し、世界ヘビー級王者となった。

ボクシングを始めたきっかけは?

1942年1月17日にアメリカ合衆国ケンタッキー州ルイビルのルイビル総合病院で、父カシアスと母オデッサの間に、カシアス・マーセラス・クレイとして生まれた。

父親から誕生日にプレゼントにもらった自転車を宝物にしていた。

ある日、誰かに自転車を盗まれ、警察にいった際、この時の警官がボクシングジムのトレーナーもしており、彼に犯人に鉄拳制裁を加えるという意味でボクシングを勧め、その警官のボクシングジムに入った。

これが、モハメド・アリがボクシングを始めたきっかけになった。

● 1960年10月29日にプロデビュー。タニー・ハンセイカーと対戦し、6R判定勝ちを収めて、プロデビュー戦を勝利で飾る。

● 1981年12月11日、トレバー・バービックに判定負けし、遂に引退。
通算成績は56勝5敗で、このうち37勝がノックアウト勝ちだった。

● 徴兵拒否:ベトナム戦争徴兵拒否 により米国政府と長期にわたり争ったが、最終的には無罪を勝ち取った。

● 闘病生活:現役時代に受けて東部へのダメージが原因とされる“パーキンソン病”を患い闘病生活を食っていた。(出典:ウイキペディア)

アントニオ猪木の挑戦状とは?

モハマド・アリー4

1976年の来日では6月26日に日本武道館でプロレスラーのアントニオ猪木と「格闘技世界一決定戦」を行う。特別ルールで戦い結果は3分15回を戦い時間切れ引き分けに終わっております。

事の始まりは、以下のようだ!!

1975年(昭和50年)3月に、当時のWBA・WBC統一世界ヘビー級チャンピオンだったアリは史上初のスポーツ界出身自民党国会議員で日本レスリング協会会長八田一朗に向かって

「100万ドルの賞金を用意するが、東洋人で俺に挑戦する者はいないか?」

とジョークを言った。すべてはここから始まるのです。

アリは「拳でも口でも戦う男」として有名で、当然この発言もアリ独自のリップサービスであることは世間も承知だった。

猪木は 「100万ドルに900万ドルを足して1,000万ドル(当時のレートで30億円)の賞金を出す。試合形式はベアナックル(素手)で殴り合い。日時、場所は任せる」

といった挑戦状をアリ側に送ったが、マスコミも世界のアリとプロレスラーが戦うなど実現は到底不可能と思っており、当初は冷めた反応だった。

しかし、この猪木の挑戦状に反応したアリは6月9日、マレーシアでのジョー・バグナーとの防衛戦前に東京に立ち寄り、会見を開いた。

会見でアリは

「猪木なんてレスラーは名前すら知らなかったが相手になる。レスリングで勝負してやる」

と発言、これにより半信半疑だったマスコミも一気に火がつき、新聞でも大きく取り上げられることとなった。

この調印式でアリは、猪木の突き出た顎を指して

「まるでペリカンのくちばしだ。お前のそのくちばし(顎)を粉々に砕いてやる」

と挑発的な言葉を浴びせた。

これに対して猪木は全く顔色を変えず、

「私の顎は確かにペリカンのように長いが、鉄のように鍛え上げられている」

と返答。更に

「日本語をひとつ教えてあげよう。アリとは日本で虫けらを指す言葉だ」

と言い返したところ、アリは激高し

「ペリカン野郎め。今すぐ叩きのめしてやるぞ」

と大声で叫んだ。

この 「ペリカン野郎」発言はアリの語録、及び猪木のニックネームのひとつとして後々語り継がれる名文句となった。

最終ラウンドに近づくにつれて、キックを受け続け体力も消耗していったアリのやる気は徐々に薄れていき、猪木を挑発することも無くなった。

猪木も決定打を出すことはできず3分15ラウンドを戦い抜き、引き分けという結果に終わった。

15ラウンドのほぼ全ての時間を寝ながら戦った猪木と何もなす術のないアリに対して、

観客は物を投げたり、罵声を浴びせた。

試合後、AP通信の報道によると猪木のアリキックによりアリの太ももは激しく腫れ上がり、膝の裏に血栓症を患い、サンタモニカの病院に入院した。

その後もアリは入退院を繰り返し、この試合でのダメージが5年後の現役引退の大きな要因になったとまで言われている。

また猪木も、15ラウンドの全てを寝ながら戦い抜くには強靭な肉体、スタミナが必要であり、何度もアリの足を蹴ったために脛と足の小指を骨折した。猪木いわく「足が3倍に腫れた」という。

この一戦を終えた猪木の名は世界に広まり、新日本プロレスはヨーロッパ各国でテレビ放送されるまでになった。

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マハメド・アリの病気(パーキンソン病)とは?

 

モハマド・アリー5

引退後にパーキンソン病にかかり、長い闘病生活に入った。
公の場に出る機会は大きく減ったが、難病の中でも社会に対してメッセージを発し続けるアリへの評価は、アメリカ社会そのものの変化もあってむしろ高まっていった。

パーキンソン病とは?

パーキンソン病の主な症状は「手足がふるえる(振戦)」「筋肉がこわばる(筋固縮)」「動きが遅い(無動)」「バランスがとりづらい(姿勢反射障害)」の4つです。

その他にも、トイレが近くなったり、よく眠れないなどの症状もみられます。これらの症状は、すべての患者さんに必ずみられるわけではなく、病気の程度によっても変わってきます。

① 手足が震える(振戦)

② 筋肉がこわばる(筋固縮)

③ 動きが遅くなる(無動)

④ バランスがとりずらくなる(姿勢反射障害)

⑤ その他の症状(便秘、トイレ近い、睡眠障害、抑うつ)

⑥ パーキンソンに似た症状を示す病気(脳梗塞やある種の薬により、似た症状を起こす。)

パーキンソン病の症状は、運動面だけではありません。精神症状や自律神経機能の乱れから生じる症状もあります。

ただ、症状の現れ方は個人によって異なるので、パーキンソン病患者さん全員に必ず起こるというわけではありません。

精神症状:うつ症状、幻視、記憶力の低下、不眠、認知症 など

自律神経症状─特に多いのは「便秘」:パーキンソン病を発症すると、体中の働きを調整する「自律神経」の機能が乱れるため、様々な症状が現れます。
(便秘、よだれ、発汗、顔が脂ぎる、飲み込みづらい、立ちくらみがする、頻尿、排尿困難、尿失禁、冷え、むくみ、性機能障害 など)

1996年7月19日、アトランタオリンピックの開会式で聖火を聖火台に点火。

モハマド・アリー3

病気のため震える手で点火用のトーチに火を点けた(火が点くと同時にそのトーチは上昇し、上にある聖火台に飛び込んで火が点くしかけだった)。

世界中に感動をもたらしたのです。

この時、1960年のローマオリンピックで金メダルを得て帰国直後に、レストランにて黒人である事を理由に入店拒否され、メダルを川に捨てたというエピソードが紹介され、改めてアトランタの金メダルが彼に贈られた。

モハメド・アリの名言集

① リスクを取る勇気がなければ、
何も達成することがない人生になる。

② 人間が困難に立ち向かう時、
恐怖を抱くのは信頼が欠如しているからだ。
私は私を信じる。

③ あまりにも順調に
勝ちすぎているボクサーは、
実は弱い。

④ 不可能とは、自らの力で
世界を切り開くことを放棄した
臆病者の言葉だ。

⑤ 不可能とは、
現状に甘んじるための言い訳にすぎない。

⑥ 不可能とは、
事実ですらなく、単なる先入観だ。

⑦ 不可能とは、
誰かに決めつけられることではない。

⑧ 不可能とは、可能性だ。

⑨ 不可能とは、通過点だ。

⑩ 不可能なんて、
ありえない。

⑪ 人間として大きくなればなるほど、
それをあえて他人に証明する

必要は無くなるのです。

⑫ 50歳になった時、
20歳の時と同じように
世界を見ている人間は、
人生の30年を無駄にしたということ

⑬ これからのこの国がどうなるのかは、
君たち白人(エリート)の双肩にかかっている。
よく考えて欲しい。
答えは君たち自身の中にある。

⑭ 私は蝶のように舞い、
蜂のように刺す。
奴には私の姿は見えない。
見えない相手を
打てるわけが無いだろう。

⑮ 肯定の繰り返しが信念につながる。
その信念が深い確信になると、
物事が実現し始める。

まとめ

1996年7月19日、アトランタオリンピックの開会式で聖火を聖火台に点火。病気のため震える手で点火用のトーチに火を点けた。

この時、1960年のローマオリンピックで金メダルを得て帰国直後に、レストランにて黒人である事を理由に入店拒否され、メダルを川に捨てたというエピソードが紹介され、改めてアトランタの金メダルが彼に贈られた。

このように黒人差別と向かい合い、アメリカを許した英雄です。

数々の名言も残しました。人々の大きな感動を与えたのです。

ご冥福をお祈りいたします。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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