ドンスコイ(日露戦争のロシア軍艦)発見!金塊など15兆円相当?

こんにちは!今日もご訪問いただきありがとうございます。

113年前、鬱陵沖で沈没したロシアのドミートリー・ドンスコイ

慶尚北道鬱陵沖合で沈没したロシア巡洋艦ドンスコイ号が113年ぶりに発見された。

これまでドンスコイ号に数十兆円の価値の金貨と金塊が積まれているという噂が流れ、

船体の発見で、今後宝物が存在するかどうかが関心を集めている。

SHINIL GUANGCAIグループは今月15日午前9時50分に鬱陵郡鬱陵邑苧洞里で、

1.3キロ離れた水深434m地点でドンスコイ号の船体を発見したと17日明らかにした。

ドンスコイ号探査を準備してきたSHINIL GUANGCAIグループ探査チームは先月14日、

沈没推定海域に有人潜水艇2台を投入し、ドンスコイ号と推定される船舶を発見した。113年ぶりの発見なのです。」

ドンスコイ号といえば、日露戦争の日本海海戦で自沈した艦船で、

数十兆円の金貨と金塊を発見か?と韓国新聞は告げているのです。

世界中が驚愕し、注目しております。

ここでは、「ドンスコイ号」の紹介と、日本海海戦の結末を少々纏めて見ました。

「ドンスコイ号」とはどんな艦船か?

◆ 名前:ドミトリー・ドンスコイ(装甲艦)

◆ 船籍:ロシア帝国海軍の舷側砲装甲艦。

◆ 起工:1880年

◆ 浸水:1883年8月18日

◆ 就役:1886年8月1日

◆ 排水量:5,683トン(常備)

◆ 全長:92,96m

◆ 全幅:15,85m

◆ 機関:型式不明石炭専焼円缶6基+レシプロ機関1基1軸推進

(1895年に三段膨張型三気筒レシプロ機関2基2軸推進に更新)

◆ 最大速力:16.0ノット

◆ 燃料:石炭:850トン

◆ 乗員:将官・士官:23名。水平:492名

◆ 兵装:1880年: 20.3cm(30口径)単装砲2基
1863年型 15.24cm(28口径)単装砲14基
1865年 8.6cm(24口径)単装砲
38.1cm水上魚雷発射管単装6基(主な装備抜粋)

ドンスコイの概要と戦歴

◆ 本艦はロシア帝国海軍が自国の沿岸防衛のために建造した装甲艦である。

艦形としては、本艦の基本構造は平甲板型船体に3本のマストと2本煙突を持つ装甲フリゲートで、

艦首水面下に衝角を持ち、船体中央部に船橋を持つ。

艦橋の背後には2本煙突が立ち、船体中央部の砲郭(ケースメイト)部に主武装を左右均等に配置していた。

1894 – 1895年には近代化改装が施され、機関を強化して帆走設備を撤去し、

マスト上に3.7cm – 4.7cmクラスの速射砲を配置した見張り所を設けた。

戦歴としては、日露戦争(1904年~1905)において日本海海戦1905年5月27日~28日に参加した。

僚艦が次々に撃沈・だ捕される中で最後まで戦い、最後は鬱陵島付近で自沈して乗員は同島に上陸後捕虜となった。

「ドンスコイ号」が自沈した訳は?

日露戦争における「日本海海戦」は圧倒的な日本側の勝利で、

大国の強力艦隊である“バルチック艦隊”を撃破し世界を驚かせたのです。

バルチック艦隊の艦船の損害は沈没21隻(戦艦6隻、他15隻、捕獲を避けるため自沈したものを含む)、

被拿捕6隻、中立国に抑留されたもの6隻で、兵員の損害は戦死4,830名、捕虜6,106名であり、

捕虜にはロジェストヴェンスキーとネボガトフの両提督が含まれていた。

連合艦隊の損失は水雷艇3隻沈没のみ、戦死117名、戦傷583名と軽微であり、

大艦隊同士の艦隊決戦としては現在においてまで史上稀に見る一方的勝利となった。

午後4時、駆逐艦「漣」と「陽炎」は鬱陵島(うつりょうとう=ウルルンド)の沖合で

駆逐艦「ベドウィ」と「グローズヌイ」と遭遇し、砲撃を加えた。

「グローズヌイ」は逃げたが、「ベドウィ」は白旗を掲げて降伏。

武装解除と臨検(りんけん)のために艦内を調べると、ベッドの上で苦しむロジェストウェンスキー司令長官の姿があった。

彼は佐世保の海軍病院に移送され、手厚い看護を受けた。

29日午前7時過ぎ、最後まで戦っていた装甲巡洋艦「ドミトリー・ドンスコイ」が鬱陵島で自沈し、戦いは終わった。

バルチック艦隊は38隻で日本海にやってきたが、戦艦8隻のうち6隻を含む計16隻が撃沈され、6隻が自沈した。

日本軍が捕獲したのは戦艦2隻を含む6隻。ウラジオストックにたどり着いたのは3隻にすぎなかった。

日本海海戦でロシアの大艦隊が壊滅したとのニュースは世界中を駆け巡った。列国は驚いた。

極東の小国が大国ロシアの艦隊に大勝することなど考えてもいなかったのである。

日英同盟を結んでいたイギリスの新聞でさえ、事実を再確認するために発行を遅らせたほどだった。

 

砲撃を受けて、かなり痛んでいたこともありますが、近海などを積載していることも絡んでいるかもしれませんね!

海底調査の動画

言葉は分かりまっせんが海底の姿を鮮明に知ることが出来ます。

 

(発見に至った経緯)

さらに、高解像度映像カメラに装着された砲と船体をドンスコイ号の設計図と比較して100%同一したことを確認した。

15日と16日に続いた潜水カメラを通じて15日午前9時48分艦尾で’DONSKOII'(ドンスコイ)とはっきり書かれている艦名を発見して撮影した

新グループの関係者は「今回の発見にドンスコイ号の存在と沈没位置に対する議論は終止符を打った」、「探査を終了し次第、所有権登記と本体の引き揚げを向けた手続きを進める予定」と明らかにした。

日本海海戦の動画

 

大変有名な陀オウガがありますので、今一度鑑賞し日本海軍の素晴らしさ啞を見て見ましょう!

2014/03/23 に公開
日本海海戦(にほんかいかいせん、1905年5月27日〜28日)は、日露戦争中に行われた海戦である。

日本以外ではこれを対馬沖海戦(つしまおきかいせん)と呼ぶ。ただし実際の海戦域は対馬沖に留まらず日本海広域に及ぶ。

この海戦は日本海軍の連合艦隊と、ロシア海軍の第2・第3太平洋艦隊との間で戦われた。

日本海軍連合艦隊は連合艦隊司令長官東郷平八郎の指揮下で、ロシア海軍両艦隊を撃滅し戦力の大半を失わせたが、

日本海軍連合艦隊の損失は軽微という海戦史上まれな一方的勝利となった。

これにより両国間のポーツマス講和会議への道を開いた。当時、世界最大の軍事力を有していたロシア帝国の敗北は世界を驚愕させた。

なお日本では上記のロシア海軍両艦隊を指して「バルチック艦隊」と呼ぶことが定着しており本稿でもこの呼び名を用いる。

(出典:https://www.youtube.com/watch?v=OD_5eARbxZk)

まとめ

いかがでしたか?

改めて、日本海軍の偉大さを再確認する機会となりましたね!

謎なのは、砲撃を受けて損傷も激しかったかもしれませんが“自沈”したことです。

バルチック艦隊の指揮官も傷んでいたし、3隻しか自国へ戻ることが出来なかったそうで、

“ドンスコイ”は沈められました!

今度の金塊との関係はない野でしょうか?目が離せません!

についてまとめました。

最後までお読みいただきありがとうございます。

スポンサーリンク

マイクのおもしろ情報・関連広告