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サッカー日本代表次期監督人事は10日までに、W杯ロシア大会で西野朗監督(63)の下でコーチを務め、
2020年東京五輪代表監督も兼務する森保一(もりやす・はじめ)氏(49)が最有力候補に躍り出た。
看板倒れの外国人監督はもういらない。“オールジャパン”体制に舵を切った形なのです。
そこで、ここでは森安一氏のプロフィールと戦績に迫ってみました。
森安一氏が候補に浮上した訳は?
【代表監督 森保氏にオファーへ】日本サッカー協会が、日本代表の次期監督候補の軸にしているW杯ロシア大会の森保一コーチに就任の意思確認を行ったことが分かった。五輪代表監督との兼任可能かが焦点。 https://t.co/x1jpCNcKdc
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) July 10, 2018
◆ FIFAロシア大会で、西野ジャパンのスタッフ全員の日本人の“オールジャパン”態勢がある。
そこで生まれた最高のムード、そして2大会ぶりの決勝トーナメント進出という成功があった。
西野監督の采配もあるが、当初は西野監督の続投が有力だったが、
決勝トーナメント・ベルギー戦での采配が批判を浴びたことなどから、本人が固辞。
となると、オールジャパン態勢を継承し発展させられる人材は、もはや森保氏以外に見当たらない。
◆ 森保氏の最大の強みは「彼がひとの悪口を言うのを聞いたことがない」といわれる人柄だ。
「ポイチ(森保監督)には敵がいない。彼が代表監督になれば、協会、Jリーグ関係者が一致して“ポイチ応援団”を結成。
万全の支援態勢を敷くだろう」(日本代表OB)といわれる。
◆ J1広島の監督としてJ1優勝3度(12、13、15年)、最優秀監督賞3度(同)の実績も、
日本人の指導者ではピカイチといえる。
◆ 逆に弱みを挙げるなら、やや地味なイメージで、国際的な実績はほぼ皆無という点
◆ しかし、外国人監督の「国際的な実績」も当てにはならない野が今のサッカーなのです。
たとえば、一時次期監督の最有力候補と噂された、ユルゲン・クリンスマン氏(53)もしかり。
同氏の最大の功績は、ドイツ代表監督として母国開催の2006年W杯で3位に入ったことだが、
これは当時のヘッドコーチで現代表監督のヨアヒム・レーウ氏(58)が、練習メニューから選手掌握、
揚げ句戦術に至るまで全てを取り仕切ったおかげと専らだ。「サッカー関係者なら誰でも知っていること」(
Jリーグ関係者)といわれる。
日本サッカー協会の方針は?
外国人監督の年俸総額のレベルが高く、日本には手が出ないレベルであることもありますが、
2億円台で獲得するには、当たり外れが大きすぎるのも事実なのです。
依然として、外国人監督の日本協会への売り込みは引きも切らないが、
断固として日本人監督の擁立、育成に舵を切るべき時期と協会は判断したようだ。
このことは、過去の前日本代表選手の多くが推奨していることでもあるのです。
次期監督人事は、順調に進めば20日の技術委員会で検討され、26日の理事会で正式決定する。
“森保監督”が誕生すれば、9月から11月に行われるキリンチャレンジ杯6連戦は、
現代表と若い五輪世代の融合チームを率いデビューを飾ることになりそう
当面東京五輪での金メダル獲得に全力を注ぎ、その結果や、五輪世代の選手の成長ぶりで森保氏の手腕を評価。
改めて22年W杯カタール大会へ向けて態勢づくりを行うシナリオが有力視されている。
森安一新監督の最初の試合が決まった?
日本サッカー協会は12日、日本代表のW杯ロシア大会後の初の国際Aマッチとなる
9月7日の親善試合(札幌)の相手がチリ代表に決まったことを発表した。
W杯で16強に導いた西野朗監督は今月限りで退任。
20年東京五輪を目指すU―21日本代表監督の森保一氏が後任の有力候補に挙がっている。
W杯出場を逃したチリだが、15、16年の南米選手権を連覇しており、
FIFAランクは9位。大幅な若返りを図る可能性もある新生日本が、
南米の強豪にどんな戦いを演じるか、注目の一戦となる。
森安一のwiki風プロフ

◆ 名前:森安一(もりやすはじめ)
◆ 愛称:ポイチ
◆ 生年月日:1968年8月23日(49歳)
◆ 出身地:長崎県長崎市
◆ 身長:174㎝
◆ 学歴:学校法人長崎日本大学学園の運営する日本大学準付属校で、中高一貫教育を行っている。
◆ 職業:元サッカー選手(MF)、指導者(JFA 公認S級コーチ)
◆ 在籍チーム:U-23サッカー日本代表(監督
◆ ポジション:MF / DF
◆ 効き足:右足
◆ 家族:奥さんと三人の息子さん。
【ユース】
- 1979-1980:土井首SSS(長崎市立深堀小学校)
- 1981-1983:長崎市立深堀中学校
- 1984-1986:長崎日本大学高等学校
【クラブ】
- 1987-1992:マツダ
- 1987-1989:→マツダSC東洋
- 1992-2001:サンフレッチェ広島
- 1998 :→京都パープルサンガ (loan)
- 2002-2003:ベガルタ仙台
【代表歴】
- 1992-1996:日本
【監督歴】
- 2012-2017:サンフレッチェ広島
- 2017- :日本 U-23
父親が造船関係者だったため幼少期から各地を転居、静岡県掛川市で生まれ、
名古屋市、横須賀市、唐津市と転居、唐津市立鏡山小学校に入学するもすぐに転居し、小学1年生から長崎県長崎市に定住する
小学5年から本格的にサッカーを始め[3]、小学6年の土井首SSS時代に全日本少年サッカー大会にGKとして出場している
高校の監督と日本サッカーリーグ(JSL)のマツダ(現サンフレッチェ広島)の今西和男総監督が知り合いだったため、
1987年同クラブ入団したのです。
1991年にマツダとプロ契約を結び、同年JSL1部昇格に貢献した。
1993年、W杯アメリカ大会アジア予選に出場し、ドーハの悲劇を経験した。
1993年にJリーグが開幕するとサンフレッチェ広島の選手としてプレー、スチュワート・バクスターの下、
風間とともに中盤を支え、1994年サントリーシリーズでは広島のステージ優勝に貢献した
まとめ
いかがでしたか?
森安氏の手腕に期待しましょう。
ひょっとすると2年後になれば、名波浩J1磐田監督(45)、長谷川健太氏(52)らも腕を上げ、
森保氏の対抗馬として名乗りを上げているかもしれないのです。
についてまとめました。
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