大谷翔平がベーブルースの記録を抜いた?ルースとはどんな選手か?

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4月1日(日本時間2日)のアスレチックス戦で勝投手になり、

3日と4日(日本時間4日と5日)のインディアンズ戦では2試合連続本塁打を記録したエンゼルスの大谷翔平。

米スポーツ専門テレビ局ESPNの米スポーツ専門テレビ局ESPNの人気ニュース番組『スポーツセンター』

の公式ツイッターは、開幕から7試合で投手として1勝、打者として2本塁打を記録した大谷は、

1919年に開幕17試合目で同記録を達成したベーブ・ルースの記録を抜いたと発表。

新人でホームでのデビューから2試合連発は球団史上初の出来事なのです。

6日には、3号本塁打を放ち、またまた記録を塗り替えたのです。正に”神童”です。

米のスポーツ紙は、

「メジャーが高校レベルに見える?」

「プホルスもトラウトもわき役になっている?」

「野球殿堂入り確実」

「世代で最高の守備、最高の選手になるかもしれない?」

「オールスター戦に投手と指名打者の両方で選出されてもおかしくない」

「大谷を止められるのは、休日だけだ」

早速、迫ってみました。

関連記事は以下にもあります。

⇒大谷翔平(エンジェルズ)2試合連続ホームラン!投手は衝撃?海外の反応は?の記事はコチラ

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アメリカの新聞は?

ルースは、10勝$10本塁打を達成した1918年、チーム5試合目の4月19日ヤンキース戦で2勝目に到達したが、

本塁打はチーム18試合目だった。

中6日で登板している大谷は、次回登板の8日アスレチック戦か次々回の15日ロイヤルズ戦で

2勝目を挙げればルースの「2勝&2本塁打」到達を上回る!

ルースは、10勝目を挙げた8月8日にメジャー初の10勝&10本塁打をクリアしたが、大谷はどうか?

この段階で、8月の結果に期待を込めているとは驚きですよね!

アメリカのメディアは、

「大谷が打っても投げても、ベーブ・ルースの当時を思い起こさせる」

 

「大谷翔平の記録に残るスタートに、そうだ彼こそベーブだ」

「その世界のベーブ・ルースだ」

「ベーブ・ルースが成し遂げた功績に大谷翔平が肩を並べる」

「大谷翔平ルース的なパフォーマンスでエンゼルスファンに二刀流の可能性を見せる」

アメリカの新聞が混乱している様子が見えて来るのです。

“野球の神様“ベーブ・ルースとは?

ベーブ・ルースは、

「ベースボールの代名詞なのです。アメリカ野球界で今でも一番愛されるレジェンドなのです。」

最初はレッドソックスで、次がヤンキースで活躍が素晴らしいのです。最後はブレーブスでした。

“野球の神様”「元祖・二刀流」なのです。

レッドソックス時代→投手:163試合登板し、94勝46敗、防御率:2,28

ヤンキース時代→打者:2503試合出場、打率:0,342、714本塁打(歴代4位)、2213打点(メジャー歴代2位)

歴代通算本塁打ランキング

1位:王貞治(日本)・・・・・・・868本(1959~1980年)

2位:パリ・ポンズ(USA)・・・・762本(1986~2007年)

3位:ハンク・アーロン(USA)・・755本(1952~1976年)

4位:ベーブ・ルース(USA)・・714本(1914~1935年)

日本のプロ野球への影響は?

1934年日米野球でベーブ・ルースが初来日したのです。

東京六大学野球のメンバーを中心とする日本代表などと東京・仙台・福岡・兵庫などで18試合を行ったのです。

その2年後に日本でプロ野球が誕生したのです。

6年間の交渉の末に達成されたそうです。

沢村栄治投手とベーブ・ルースの対戦

静岡・草薙球場(静岡市)で行われ、日本は0-1で敗れたものの、

当時17歳、京都商業(現京都学園高)の沢村栄治が完投し、9三振を奪ったのです。

他の試合は、10点差とか⒛点差だったそうで1点に抑えたのが、特質される成績だったのです。

そこで、日米で有名になったのです。

“野球の神様”ベーブ・ルースを沢村投手が手玉に取る様子に当時の日本人も熱狂したが、

アメリカでもすごい盛り上がりだったそうです。

日本では、多くの方と写真を撮りましたが、カタカナで名前を書いたハッピーを着て

高島田を結った女性との写真が有名ですが、見つけることが出来ませんでした。

静岡・草薙球場に葉ベーブ・ルースとッ沢村投手の銅像が立っております。

 

 

ベーブ・ルースの野球の神様への道のりは?

ルースは1895年2月6日(明治26年)・メリーランド州ボルチモアで生まれたのです。

両親は貧民街の小さな酒場を経営しておりました。

幼少期は、町でも有名な不良少年でした。

学校も行かずに悪い仲間と遊び、7歳の時に葉“かみタバコ”を愛用していたそうです。

そのころ、素行の悪い子を集めて施設に預けられ、そこで洋服のした手を勉強していたのです。

そこで野球と出会ったのです。

◆ 1914年(大将3年):19歳、レッドソックスで投手として目じゃデビューしました。

◆ 1920年:25歳、ヤンキースに移籍、14年間プレーしました

◆ 1935年:40歳、ブレーブスに移籍。その年に引退したのです。

◆ 1936年:アメリカ野球殿堂入りを果たしました。

◆ 1948年:53歳、癌による肺炎のため死去したのです。

遺体は、ヤンキー・スタジアムに安置され、2日間で計15万人が球場を訪れたのです。

◆ 1949年:背番号「3」がヤンキースの永久欠番になっております。

元祖・二刀流ベーブ・ルースを変えたのは?

二刀流への転機は?

1918年(23歳)レッドソックス時代、ルースはピッチャー以外の日は野手として出場し、

投手でありながら、13勝11本塁打を放ち、本塁打王に輝いたのです。

メジャーリーグでは唯一の選手なのです。

当時としては二ケタのホームランを打つのは大変珍しいことだったのです。

◆ 二刀流の背景としては、第一次世界大戦(1914~18年)で、アメリカの選手の出征や

軍需工場に駆り出さ啞レた影響で、選手が足りなかったため野手としても出場せざるを得なかったのです。

複数のポジションをこなす選手もいたそうです。

この点では、大谷選手は最初から二刀流を掲げて出場しているので、ルースとは若干事情が異なるのです。

1918年と1919年が実質的二刀流ですが、それ以降は打者として活躍し、

本塁打王・打点王を重ねたのです。

大谷選手は、野球は“打つこと”と“投げること”として幼い頃から楽しんできたので、

二刀流は、辞めることはないそうです。

ベーブ・ルースのwiki風プロフ

◆ 名前:ベーブ・ルース

◆ 本名:ジョージ・ハーマン・ルース

◆ 愛称:“ベーブ”(プロ入団後、大きな体に似合わず童顔なのをからかわれて、

ベーブ(ベィビー)、バンビーノ(若者・イタリア語)と呼ばれたのが定着したのです。)

◆ 生年月日:1895年2月6日(53歳没)

◆ 出身地:アメリカ合衆国メリーランド州ボルチモア

◆ 身長:188㎝(大谷選手:193cm)

◆ 体重:98kg(大谷選手:97kg)

◆ 学歴:セント・メアリー少年工業学校」という全寮制の矯正学校兼孤児院

◆ 職業:プロ野球選手

◆ 投球・打席:左投左打(大谷選手;右投げ左打ち)

◆ 初出場:1914年7月11日

◆ 家族:両親は、ルースを含めて生涯に9人の子供を産んだが、

成人期を迎えることができたのはルースと5歳年下の妹マミー(Mamie)の2人だけであった。

◆ 選手歴:

• セント・メアリー少年工業学校

• ボルチモア・オリオールズ[1]

• ボストン・レッドソックス (1914 – 1919)

• ニューヨーク・ヤンキース (1920 – 1934)

• ボストン・ブレーブス (1935)

◆ コーチ歴:ブルックリン・ドジャース (1938)

「野球の神様」と言われ、アメリカ合衆国の国民的なヒーローでもある。

最初にアメリカ野球殿堂入りを果たした5人の中の1人で、

本塁打50本以上のシーズン記録を初めて達成した選手でもある。

1927年に記録したシーズン60本塁打は、1961年にロジャー・マリスによって破られるまでの34年間、

MLB最多記録であった。

また、生涯通算本塁打数714本も1974年にハンク・アーロンに破られるまで39年間MLB最多であった。

ブラックソックス事件による当時の球界への不信感を、豪快な本塁打の連発により払拭するにとどまらず、さらに野

球人気を高めることに成功した。

アメリカ国内において、数多いプロスポーツの一つに過ぎなくなっていた野球を、最大の人気スポーツにした事で

「アメリカ球界最大の巨人の1人」と評されている。

ドイツ系移民であった両親のケイト(Kate)とジョージ・ハーマン・シニア(George Herman Sr.)は、カムデン通

り沿いで酒場を自営しており、家族はその2階で暮らしていた。

7歳になった頃には既に両親の手には負えなくなり、「セント・メアリー少年工業学校」という全寮制の矯正学校兼

孤児院に送られた。

ルースはその後の12年間をセント・メアリーで過ごすことになる。

そこで少年たちの教官を務めていたローマ・カトリックの神父、ブラザー・マシアス・バウトラー

(Brother Matthias Boutlier)と出逢い、野球を教わったことが、ルースの人生に決定的な影響をもたらすことになった。

1913年、野球部のエースとして君臨していたルースの活躍は、偶然試合を見に来ていたジョー・エンジェルの目に留まる。

ワシントン・セネターズの投手であったエンジェルは、すぐにボルチモア・オリオールズ(現在のオリオールズ球団

とは無関係であり、当時はマイナーリーグチーム)のオーナー兼監督のジャック・ダンにルースを紹介した。

その場でルースの練習風景を30分ほど見たダンは、即座に年給600ドル(現在の金銭価値に換算すると約6万6000ドル)の契約を結んだのです。

(出典:ウイキペディア)

まとめ

いかがでしたか?

4月6日に葉、連続して3号本塁打を放ちました。

本拠地デビューから3戦連発で本塁打を打ったのは、

新人では球団史上初で、メジャーでは史上4人目の偉業だという。

また、3試合連続本塁打は、日本人メジャーリーガーとしては2人目であり、

ヤンキース松井秀喜選手が2回記録。松井選手が最初にマークしたのはメジャー2年目だった。

今後はどうなるのでしょうか?

ベーブ・ルースを抜き去ることは、何か大きすぎて心配になってきたのは、

僕だけでしょうか?

についてまとめました。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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