北島三郎、暴力団との交際疑惑がまたまた浮上!馬主資格はく奪は?

演歌界の大御所“サブちゃん”こと北島三郎が揺れており、人生最大のピンチに陥っております。

突如として暴力団との交際疑惑が報じられたのです。

30年前(1986年12月)、広域暴力団稲川会の新年会に出席していたことが静岡県警の捜査で明らかになり、

決定していた第37回NHK紅白歌合戦への出場を辞退したことがあったが、

当時と今では時代がまったく違う。暴力団との密接交際は芸能人として“致命傷”になりかね

ないのです。

さらに北島三郎さんは、“馬主”でもあります。資格はく奪の危機の瀕しております。

果たして何があったのでしょうか?

ここでは、プロフイィールの概要を紹介し、トラブルの真相に迫ってみました。

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北島三郎の暴力団との関係は?

北海道函館市の 「北島三郎記念館」の建設を巡って、建設主とブローカーの間で金銭トラブルとなり、

それに関連して北島は、8000万円の債務を肩代わりしたという一面識もない男性から

債務返還を請求される裁判を起こされたのです。

支払い義務はないと主張した北島は東京地裁の一審で勝訴した。

これで済めばよかったのですが、

ただ裁判の中で、建設主とブローカー間のトラブルの中に、暴力団関係者が介在していたことも明らかになった。

さらに新潮のインタビューで北島の「ケツ持ち」(用心棒)と語る元山口組系幹部に対し、

北島は数千万円も貸し付けていたことが裁判で認定されていたのだ。

現在は引退した元暴力団幹部と北島はズブズブだったのです。

その元幹部が提出した陳述書では「1964年夏に北島と兄弟分の盃を正式に交わした」などと、

赤裸々な関係がと明かされていてるというからシャレにならないのです。

北島さんは、1986年12月、広域暴力団稲川会の新年会に出席していたことが静岡県警の捜査で明らかになり、

決定していた第37回NHK紅白歌合戦への出場を辞退するハプニングも経験しており、

以前から、この道の黒い噂は絶えなかったのです。

黒い交際”はよく知られた話で、演歌界の大御所だけに関係各所はスルーしていた経緯がありますが、

2011年に暴力団排除条例が全国で施行され、風向きは大きく変わったのです。

一般人が暴力団関係者と密接交際することを禁じる条例であり、

これをきっかけに暴力団と交際を続けることは、芸能人としての地位を失うことと同義となった。

北島としても、いくら条例施行前のこととはいえ、体裁が悪いことなのです。

人気タレントの島田紳助さんのことが浮かんできます。

2011年8月23日、最後のテレビ出演となった『開運!なんでも鑑定団』の放送終了直後、

暴力団関係者との「黒い交際」を理由に引退を宣言し、この日を以って芸能界を引退したのです。

さらに、北島の暴力団関係のネタを週刊誌などに持ち込んでいる人物もいるというので、

まだまだ一波乱も二波乱もありそうだ。と芸能関係者は語るのです。

北島三郎、馬主資格はく奪は?

日本中央競馬会(JRA)の馬主登録審査基準では、

「馬主として適格でないと認める基準」として、

暴力団員と親交があると認められる者、

又は過去に親交があったと認められ競馬の公正を害するおそれがあると認められる者」とあるのです。

実際には、2007年に北海道の自営業男性が、馬主登録を申請して一旦受理されたのですが、

過去に暴力団関係者との交際があったなどの理由で、登録を取り消されて、

裁判へと発展したケースもあったのです。

もし、同誌が報じた“黒い交際”が事実だと、複数の馬の馬主である北島の馬主資格は完全にアウト。

剝奪危機に陥りそうだが…。

馬主を取るか、仁義を取るかの板挟みに陥っているのです。

「キタサンブラックのおかげでJRAは大もうけ。今後も北島の馬が強くなれば客が呼べる。

裁判で明らかになった、という記事だけに、JRAもスルーしそうだ」

と、競馬担当記者が話すのですが、

国民的演歌歌手ですので、判断が偏ると世間のバッシングを心配しなければならないと思います。

北島三郎のwiki風プロフ

◆ 名前:北島三郎(きたじまさぶろう)

◆ 本名:大野 穣(おおの みのる)

◆ 別名:サブちゃん、親父、原譲二(作曲・作詞のペンネーム)

◆ 生年月日:1936年10月4日(81歳)

◆ 出身地:北海道上磯郡知内村

◆ 学歴:東京声専音楽学校卒業

◆ 職業:演歌歌手、俳優、作詞家、作曲家、馬主。

◆ ジャンル:演歌

◆ 活動期間:1962年~

◆ 家族:次男・大野誠(ロックバンドのボーカル)三女・水町レイコ(女優・声優・歌手)

次女は愛弟子の北山たけし(歌手)と結婚しております。

◆ 事務所:新栄プロダクション(1962年 – 1972年)北島音楽事務所(1972年 – )

日本を代表する、歌手で『函館の女』に始まる「女」シリーズ、『兄弟仁義』などの「任侠」シリーズなど、

数多くのヒット曲があることで、知らない人がいない程です。

歌手になるきっかけは、高校在学中に函館で開催された『NHKのど自慢』に出場したのです。

この時、鐘は2つ(3つ以上で合格)だったが、司会の宮田輝から

「良い声して学生さんですか?お上手でしたのにねえ…」と優しく声をかけられた事で、

「歌やれば歌手の道あるかな?」と思う様になり、結局それが歌手への目覚めの第一歩になったというのです。

デビューは、1962年、新栄プロの先輩歌手、村田英雄の「王将」のヒット記念パーティーで歌手としての初舞台を踏んだのです。

人気の確立は、1965年、この年の4月に「兄弟仁義」と「帰ろかな」、

そして11月に「函館の女」と、この年リリースしたうちの3曲が大ヒットし、

演歌歌手としての人気を確立したのです。

『兄弟仁義』は東映で映画化され自らも出演し、これも大ヒットし、

シリーズ化され、主演映画スターとしても活躍するようになる。

その顔は数々のヒット曲をリリースし、多くのミリオンセラーを達成したのです。

1986年12月、広域暴力団稲川会の新年会に出席していたことが静岡県警の捜査で明らかになり、

決定していた第37回NHK紅白歌合戦への出場を辞退する。

初出場から勇退までの半世紀で、不出場となったのはこの年のみ。

馬主活動は、歌手の春日八郎にすすめられて始めており、日本の競馬界では、

1963年(昭和38年)以来、「キタサン」の冠号で多くの競走馬を所有する馬主としても知られるのです。

2016年春の叙勲で旭日小綬章を受章したのです。

まとめ

いかがでしたか?

“サブちゃん”に大変な災難が降りかかっております。

島田紳助さんのこともあるので、大変心配ですよね!

“馬主“の方も、JRAはどのようにジャッジするか注視していきましょう!

についてまとめました。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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