富岡茂永犯人の遺書全文が判明!「怨霊となり祟り続ける」真意は?

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12月7日、東京都江東区の富岡八幡宮で宮司の富岡長子さん(58)さんら4人が

日本刀やサバイバルナイフで殺傷された事件で、

富岡さんの弟の元宮司の富岡茂永容疑者(56)が犯行直前に書いた

「遺書」ともとれる「手紙」を投函していたことが分かりました。

当館の日付は、8日となっており、覚悟の上での殺傷事件であったことが分かります。

地元の警察署長他、20ヶ所以上に送付したのです。

この手紙には事件の動機は、宮司継承をめぐるお家騒動や姉の富岡長子さんなどとの

30年におよぶ確執の詳細が書かれています。

要点を箇条書きにお伝えします。

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冨岡茂永氏の手紙(遺書)は?

「極悪非道極まりない冨岡長子を永久に冨岡八幡宮から追放すること。

私は、私を罠に嵌めた卑劣な奴らを絶対に許しません!

進でもこの世に残り、怨霊となり、その子孫に祟り続けます。」

と結び、手紙はA4サイズ8枚に及んでいるのです。

消印は、事件の翌日で誰かに頼んでの投函のようです。

茂永容疑者の遺書ともみられるもので、一方的な主張がかかれていたのです。

富岡八幡宮の責任役員や総代の複数の関係者の元に郵便で届いています。

事件の背景に何があったのか?

8枚の手紙と、神社関係者からの取材をまとめました。

◆1頁目:

・姉への誹謗中傷と父への誹謗中傷が中心のお内容。。

「富岡八幡宮と冨岡家の栄光を取り戻そうと、死に物狂いでした。」

◆ 2頁目:

・自分は宮司になるまで努力し頑張った!と主張。

・姉への誹謗中傷

◆ 3頁目:

・冨岡家の全面戦争の始まり。

「長子が卒業と同時に禰宜(ネギ・大幹部・宮司の下)にしろと言い始めた。

私には到底受け入れられない要求でした。」

ここで冨岡家の全面戦争が始まったのです。

◆ 4頁目:

・茂永氏が宮司を辞めるまでンお内容です。

「止めさせられたのではなく、辞表を書かされた!」と主張。

◆ 5頁目:

・姉への復讐が、記されている。

◆ 6頁目:

・神社本庁を抜けた理由が記されている。

◆ 7頁目;:

・「富岡八幡宮から、長子を追放したい」と記されている。

「富岡長子を冨岡八幡宮から永久追放しましょう。」

「富岡家には、息子という立派な、そして正当な後継ぎが降ります。」

と首藤氏、家族への思いが記されております。

◆ 8頁目:

・茂永氏の要求が書きされている。

① 極悪非道極まりない冨岡長子を永久に冨岡八幡宮から追放すること。

② 即刻、富岡00(息子)を冨岡八幡宮の宮司に迎えること。

★こういった要求が実行されなかったときは、私は死後においても

この世(富岡八幡宮)に残り、怨霊となり、私の要求に異議を唱えた

責任役員とその塩sンを永遠に祟り続けます。

★万一、息子が宮司になれなかった場合は、私が作らせた一の宮と二の宮神輿

を出すことを今後一切禁止します。

もし私の禁に背いて息子以外の宮司の下で、宮神輿を出した場合、

私は死後においてもこの世(富岡八幡宮)に残り、怨霊となり、神輿総代会の

幹事総代とその子孫たちを永遠に祟り続けます。(富岡茂永・拇印)

とあったのです。

ここまで恨んでいるのですが、退職金は1億円以上、

1ヶ月の仕送りは約30万円が実行されているのです。

しかし、迷惑行為が続いたので、今年7月には、

「迷惑行為を続けるなら、経済的支援を辞める」

と、宣言したら迷惑行為は中止されたのです。

その矢先の今回の事件が発生したのです。

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冨岡家の30年の骨肉の争いとは?

冨岡八幡宮に葉、事件後3日たっても途切れることがなく、

参拝客はお参りに来ておりますが、戸惑いもあるようで、

「強の参拝客は、全然、少ない!やっぱり不気味ですよね!」

「初詣なんかもお客さんは減るし、少しは影響あるかな?」

「尊敬する神様ですので、参拝は辞めないです。」

と参拝客は話したのです。

手紙の内容は、

◆ 「まずは、約30年にわたり続きました、富岡家の内紛について、

素の真相をここにお伝えさせて頂きます。」と書き出したのです。

茂永容疑者は、1995年父の後を継ぎ宮司になるもわずか6年で解任されました。

その理由は、

「お父さんが引退してせがれが宮司になったが、素行が悪く“飲む・打つ・買う”

と三拍子揃い、お金を使い過ぎ、女性問題もあり、回にされました。」

◆ 「私は辞めさせられたのではなく、辞任したのでもありません!

私は辞表をかされたのです。」

自らは望んだ退任ではなかったと主張しているのです。

退任の背景には、自分が宮司になったことで、

父親が自由にお金を使えなくなったことがあると主張するのです。

「父が宮司であったころは、総額数十億円を超える骨董を購入していた父にとって、

自由に財産を使えなくなったことは、非常に不満の様でした。

私に内緒で、勝手に長子に領収書を渡し、

長子は、私に無断で神社の経費として処理するようになったのです。」

資産を浪費していたのは、父親や長子さんだと手紙では主張しているのです。

長子さんの肩書の偽善と茂永氏の苦言は?

1627年に創建されて、390年の歴史がある神社です。

5年前には、天皇・皇后陛下も参拝されているのです。

当時宮司代行だった長子さんが、

「天皇・皇后両陛下  行幸敬記念碑」

に建立に“富岡八幡宮宮司富岡長子謹書印”の肩書を“宮司”と記したことに

消すように強く迫り、黒塗りにさせたのです。

「天皇陛下の“碑”に宮司でもないのに偽りはおかしい!と電話が入っていた」

と関係者は証言するのです。

「長子氏は宮司を名乗れるし、職員の役職も全部自分で決められる。

だからそれは止めないといけない」

と、神輿早大連合会顧問・高橋富雄氏に電話があったそうです。

冨岡八幡宮の神社本庁離脱は?

2017年9月に富岡八幡宮は、神社本庁を離脱しました。

その直後に、長子氏が正式な宮司に就任したのです。

(神社本庁:全国大多数の神社を統括する宗教法人およびその中央事務所の名称で、

第二次大戦後、国家管理を離れた全国約8万の神社を包括する。

国家と神社の分離を命じた連合国軍総司令部(GHQ)の神道指令を受けて、

神社関係3団体が1946年に結成した宗教法人です。)

このことにより茂永容疑者の不満が加速したのです。

冨岡八幡宮の神輿は?

深川八幡祭り、江戸の三大祭の1つと言われています。

他の2つは、神田祭と山王祭ですね!

深川八幡祭りは水懸け祭りと呼ばれ、

お神輿を担ぐ人たちに豪快に水をかけまくることで有名です。

さらに、神輿が日本最大で、自分が作ったと主張し、その使用を禁止したのです。

「息子以外の宮司の下で、宮神輿を出した場合、私は死後においても

この世(富岡八幡宮)の残り、怨霊となり、神輿総代会の幹事総代とその子孫たちを

永遠に祟り続けます。」

と、手紙に記したのです。

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富岡長子さんは事件直前に懇親会に出席していた?

長子さんは、殺害される1時間前には、同じ江東区内の会合で、

江東区、葛飾区、江戸川区などの警察署長さんも参加しており、

年末・年始が近いので防犯に努めましょうとの懇親会だったのです。

この会の帰りに事件は起きたのです。

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まとめ

いかがでしたか?

手紙の内容から、怨念の深さが分かりますよね!

神社を参拝する一般客は、何かを感じざるを得ませんですね!

負の遺産として、語り継がれていくことであり、

他の神社にも多大の影響があることでしょう!

◆8ページにわたる茂永氏の手紙が判明しました。

◆その中身は、長子氏への恨みと、自分の息子への期待があったのです。

◆長子氏は、神社本庁を離脱し宮司についたのです。

についてまとめました。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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