安倍晋三の家系がすごい!祖父は岸信介、安倍 家、岸 家、佐藤 家の関係は?病気や愛犬も?

こんにちは!今日もご訪問いただきありがとうございます。

安倍晋三首相は、運だけで首相になったのではなく、

血筋、家系からは、そのサラブレッドさが分かるのです。

父親は安倍晋太郎で、次の首相と期待されていたが、病の倒れてしまった不運の方なのです。

安倍晋三は、支持率も高く安泰ですし、
戦後最長の首相になるであろうと期待されておりますが、

この辺で、安倍晋三の人物像をおさらいしておくことは、

重要と考えて調べて見ることにしました。

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安倍 晋三氏のプロフィール

◆ 名前:安倍 晋三(あべ  しんぞう)

◆ 生年月日:1954年9月21日(63歳)

◆ 出生地:東京都新宿区(安倍晋太郎氏次男として生まれる)

◆ 出身校:成蹊大学法学部政治学科卒・南カリフォルニア大学中退

◆ 職歴:神戸製鋼所社員後、安倍晋太郎(実父)衆議院議員秘書

 

 

安倍晋三の家系は?

家系図ー1
家系図ー2

(▲安倍 晋三氏 )      (▲父・安倍 晋太郎氏)

(▲祖父・岸 信介氏 )      (▲大叔父・佐藤 栄作氏)

 

安倍晋三氏のお父さんは、晋太郎氏、お祖父さんは、寛氏、共に東京帝国大学卒です。

父、安倍晋太郎氏の奥方は総理経験者の岸信介氏の長女です。

岸信介氏の弟は、佐藤栄作氏で政界の団十郎と言われるほどの美男子の総理でした。

岸信介氏も佐藤家の第5子で次男として生まれ岸家に養子となります。

佐藤家は、島根県令(知事相当)等も務めた旧家です。

その後、佐藤栄作氏が総理大臣になり兄の岸信介氏も総理ですから凄い家系ですよね。

当然この兄弟も東京帝国大学なんです。

長兄の佐藤市朗氏は、海軍大学ですがこちらも首席を取るほどの秀才です。

<何が言いたいのか?って!>

そんな血を引く安倍氏兄弟は、長男・寛信氏、次男・晋三氏ともに成蹊大学なんです。

どうしたんでしょうね???

安倍氏の弟さんの三男の信夫さんは、慶応義塾大学です。

決して成蹊大学をけなす積もりはありません立派な大学ですが、東京帝国大学の人から言わすと???ですね。

晋三氏等から一寸ランクが下がった様に感じますね。(失礼!)

晋三氏も代議士として学歴コンプレックスを感じています。


(小生の以前の会社は、社長が京都帝大卒で「旧帝大以外は大学とは言えない」とか、
「まあ百歩譲っても大学と言えるのは慶応・早稲田までだ」とか言っていました。)

上に書いた三男の信夫氏は、岸信介氏の長男の岸信和氏の養子となります。

山口県の佐藤家・岸家・安倍家養子関係が複雑というのかお互いに後継者の為でしょうかね?

 

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安倍家の出自

肝心の安倍晋三氏の家系ですが、“安倍”と言えば有名なのは、

東北の蝦夷から発生したと言われる安倍貞任(サダトウ)ですが、
前九年の役(1051年頃中央政権との争いで源頼義に征伐される)事件ですが、

貞任が討ち死に、その弟の宗任氏が京に連れて行かれますが、
その知略を源頼義に見込まれて恩赦に依って罪を許され、

流されて九州の福岡県宗像市の方へ行きその子孫が松浦地方に住み着き松浦党を名乗ります。

(▲安倍 貞任らしいとか)    (▲安倍 宗任だそうです)   (▲源の頼義)
(昔の絵は後年違ったとか言われる場合もあるため???とします)

それ以降は松浦の苗字となるのですが、山口に住み着いた安倍氏は、
名前が同じだからと安倍宗任の子孫だと言っています。

宗任の子孫達は松浦を名乗ったにも拘わらず、何故、安倍姓を復活させたか?
はたまた安倍家がその子孫だと言う根拠は?

と言うのも父親の安倍晋太郎氏に関して、岸家から安倍家まで使えた家政婦さんで
久保ウメさんは週間朝日のインタビューに答えて

「パパ(安倍晋太郎氏)は誰にも言えないことを私には言ってくれた
『俺は朝鮮だ・朝鮮人だ』と言っていた」

と語った言葉が伝えられています。

亡くなって入棺の時、

「この人の骨格を見ながら本当に日本人の物ではないと思った!
頭からつま先まで真っ直ぐに横になっていたが、完全に韓国人の体形だと思った」

と話されていました。

ここで疑問ですが、この久保ウメさんが語る「パパ」の呼び方はどう解釈すれば良いのでしょうか?

こんな、誰にも言えないことを何故この家政婦である久保ウメさんに明かしたのか?

普通の人間が考えると、どんな関係だったのか?

寝物語に語ったと言う事でしょうか?

それとも政治家の先生の場合は「パパ」と呼ぶのでしょうか?

皆さんどう判断されますか?

この辺をウメさんに確認したいものです。

先に語った“前九年の役”には清原武則や清原武道も登場します。

その当時、気仙沼郡司は金為時(こんのためとき)氏です。

この金為時氏も色々言われていますが安倍氏の一族とか朝鮮の新羅王族の金姓と言う説もあります。

色々辿ると何が何だか解らなくなります(笑)

晋太郎氏の言う朝鮮と言うのも安倍系列の金氏からきたのか?

戦国時代に活躍した人達は自分の出自を飾るために江戸時代に家系図作りが流行したそうですが、江戸時代の家系図が出てくれば現代の人は絶対信用しますね。

極端な話が太閤秀吉氏です。

それらの家臣でも出自の解らない人が沢山居ますし、その下の人達なら全く解らないですね。

当然、明治維新でも下級武士が活躍して維新を成し遂げ華族さんになって公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵とかの偉い人になりますね。

初代総理大臣・伊藤博文氏にしても長州藩の松下村塾で使い走りをしていて松蔭先生からは余り評価されていませんでした。

維新の話になると“田布施地区問題”や明治天皇替え玉説等色々出てきますがそれは今回、置いておきましょう!

だけどよくよく調べると出自と言うのもいい加減な物なのです。

徳川家にしても得川地区の豪族の未亡人をたらし込んだ放浪坊主がいつの間にか得川を名乗り字面の良い徳川に代えたのです。

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三菱財閥との関係は?

元に戻って安倍晋三氏の出身大学の成蹊大学と三菱財閥の関係が深いのですが、
三菱財閥と言えば、岩崎弥太郎氏です。

この岩崎家は地下浪人です。
元は庄屋を務める郷士でしたが金に困ってこの郷士格を売ってしまうのです。

そして三菱財閥総帥の岩崎弥太郎氏の父が弥二郎氏。
その父(弥太郎氏の祖父)が弥三郎氏。これもちょっと面白話かな?代返り的な話です。

岩崎弥太郎氏の三菱財閥にしても坂本龍馬の海援隊の経理面を弥太郎氏が見ていて船の賠償問題とかで巨額の金を得るのですがその当時、龍馬が暗殺され、

どさくさに紛れて土佐藩の後藤象二郎と繋がりを付けて蓄財したり、その他、上手く立ち回って後に政商と言われるような活動で三菱財閥を運営し、色々批判も多かった様です。

海援隊から派生して九十九商会を造り三菱商会となり郵便汽船三菱商会から日本郵船と発展し
三菱財閥
が形成されていくわけです。

(▲若かりし後藤 象二郎氏)  (▲後年の後藤 象二郎氏 )   (▲岩崎 弥弥太郎氏)

▲岩崎小弥太氏

(▲岩崎 小弥太氏)

その弥太郎氏の従兄弟にあたる小弥太さんが成蹊塾の設立者の中村春二さんを支援しています。

卒業生の三菱関連への就職率も高いのです。
安倍晋三氏の兄の寛信氏も三菱商事から三菱商事パッケージング(株)の社長を務められています。

(▲成蹊大学創立者 中村 春二氏)

三菱商事パッケージング(株)代表取締役社長 安倍寛信氏
(▲三菱商事パッケージング(株)代表取締役社長 安倍 寛信氏)

ただ三菱グループの中では如何な物でしょうか?

資本金3億ちょっとの段ボール関係の会社ですね。

三菱グループ主要29社が加盟する金曜会なるものが有りますがそちらには入っていません。

三菱関係の社員の方でもランクがあって御三家・主要10社、外様の金曜会メンバー16社、

この29社の社長さん達が第二金曜日の昼集まって食事しながら情報交換と意思決定するそうです。

しかしここでも事前に金曜会の前に世話人会と言うのが催されて、そこでほぼ意思決定されて
金曜会の会議に掛けられるそうですが、その前に大体決まってる訳です。

その世話人会とは御三家と主要10社中6社が加わるのですがその内の2社は毎年入れ替わるようです、非常任理事国扱いですね。

どこの世界でも上下関係が厳しいわけです。

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安倍晋三氏の結婚

話は戻ります、安倍晋三氏は神戸製鋼に努めてた時代に森永製菓の社長令嬢の昭恵さんとお見合いし結婚します。

衆議院議員で将来の総理候補の息子と大企業のご令嬢です。

 

結婚-2

 

昭恵さんは当時電通勤務でした。

森永製菓の社長令嬢と言いますが森永姓では有りません森永製菓は森永家と松崎家が交互に社長を引き継ぐ形と成っています。

昭恵さんの実家、松崎家と森永製菓の成り立ち

そこで森永製菓の成り立ちですが創業者は、森永太一郎氏で佐賀県の伊万里地方で有田焼の陶器問屋の子供として生まれますが6歳で父親が病没しその後は苦労の連続で学校にも行かせて貰えず12歳まで自分の名前も書けなかったそうです。

親戚をたらい回しにされますが、そこで出会った陶器問屋の山崎文左衛門商店で養われ商売道徳を叩き込まれます。

商人として絶対に守らなければならない四つの事を教えておくと言われます。

一、 どんな場合でも、正当な商品だけを扱い、不正直なものは売買しない。

二、 目先の利益に釣られて、粗末な品物を扱わない。

三、 正直を信じてつけた値段は、お客様から何と言われても下げない。

四、 仕事を急がず、10年を一区切りと決めて堅実にやる。

これらの事を守って仕事や勉強に励みます。

陶器商人ですから売り歩く訳ですが、当時世話になった九谷焼の商店の主人に泣きつかれてアメリカに直接九谷焼の商品を売ることを考え実践します。何と行動力のある人でしょう)

時は1888年(明治21年)です、この当時早くもアメリカに商売に行くのです。
向こう見ずにも程がありますね。

無謀の一言です、誰か止めなかったんでしょうか?しかし偉い!(結果論ですけどね)

甘い考えでした当然売れません。

それでも競売に掛けたりして何とか赤字ながら商品は処分します。

歩き疲れて食事も取れず公園のベンチに腰掛けていると60歳くらいの上品なマダムが声を掛けてきてキャンディーを一つ太一郎青年に呉れたのです。

すきっ腹で外国の甘いキャンディーなんか食べたことの無い太一郎青年には何者にも代え難い物でした。

これが森永太一郎氏の人生を変えます。

陶器商人から洋菓子職人です。もの凄い行動力ですね!

何とか洋菓子の製造技術を習得して日本で洋菓子を安く提供したいと考えます。

しかし時は明治21~2年です。

今でさえ東部等に行くと人種差別があります。
洋菓子の職人になど成れるはずが有りません。教えてくれませんよ。

普通の人間はそこで諦めます。

私なら、「そうだよね、日本人なんかに教えて呉れるはずが無いよな、やっぱり辞めた」となります。

それでも太一郎氏は色んなルートを探している内にあのキャンディーを呉れた夫人に出会うのです。

そしてその家でスクールボーイとして働き、クリスチャンになるのです。

(注・スクールボーイとは寄宿生とか留学生では無いですよ、普通のアルバイトが日給1ドルくらいで働くのを1週間1~2ドル位でその家に住まわせて貰って「ウエイター兼台所の下働き兼掃除人」です。)

その後パン屋の下働きからキャンディー工場で働くことが出来るようになり12年間修行し帰国です。

そして明治32年35歳で東京の赤坂溜池で僅か2坪の作業所兼店舗を開き「森永西洋菓子製造所」の看板を掲げるのです。

マシュマロの製造を始めます。(米国で天使の食料)と言われていた商品ですが時は明治32年です。

日本人の食べ物じゃないですよね!次にキャラメルを作って持ち込みますがこれも売れません?

やはり当時の日本では西洋菓子が早すぎたと落胆しますが熱心なクリスチャンとなっていた太一郎青年は直ぐに聖書の一節を想い出し自分を鼓舞するのです。

それでも2ヶ月位した頃からマシュマロが売れるのです。

太一郎の郷里の藩主鍋島家のお屋敷に奉公したことが有るという人で青柳商店の夫人が佐賀出身と聞いてその青柳商店で売ってみようと仕入れて呉れるのです。

正直に商売したことでの神のご加護です

同時期開業したアンパンの木村屋や風月堂が洋菓子を輸入販売し売り出したので相乗効果ですかね森永西洋菓子製造所にも注文が入るようになります。

順調に売り上げを伸ばして行く内に溜池の表通りに20坪の家を借りて移転します。

その近くにあったアメリカ公使のバック公使夫人の目にとまり毎日の様に買いに来てくれてバック夫人が友人知人に宣伝してくれたお陰で上流社会に受け入れられるようになります。

その後も紆余曲折を経ながらも順調に発展していくのですが、作業場の衛生面で色々気を遣っていましたが、菓子屋の台所は砂糖や飴や小豆の絞りかすが散乱し不潔極まりない物でした。

そこで太一郎社長は白い作業服と帽子の着用を義務づけるのです。

今でこそ色んな企業の工場でも白い作業服は当たり前ですが直ぐに汚れるのに白い作業服は大変です。

汚れが目立つからこそ清潔を心掛け無いといけないし、少し汚れたら洗って綺麗な作業服を着用することで周りの環境整備も出来るわけです。

そんな経緯を経て3年が過ぎます社業は順調に発展し売り上げ的には10億を超えるくらいになっていましたが太一郎社長はこのまま会社が大きくなるには自分1人の経営では難しいと考えるようになります。

そこで目を付けたのが2年前に知り合った松崎半三郎氏です。
(ここで登場するのが昭恵さんの曾祖父ですよ)

当時、松崎氏は貿易商としてオルガン、ピアノの部品の他、菓子、チョコレートの原材料の輸入販売をして森永商店に納入する取引関係にありました。

この人に目を付けて太一郎社長が口説くのですがそう簡単にはいきません!

松崎半三郎氏は立教学院(立教大学の前身)卒業して貿易商に勤務し独立した人ですからそこから又、雇われの身になることにも抵抗がありますよね。

一応社長としてやってるのになんで貴方に使われないといけないの?と普通は思いますよね。

ですが松崎半三郎氏も熱心なクリスチャンでしたこれが合縁奇縁と言うやつでしょうかね!

とは言え、そう簡単には聞き入れて貰えません、何度も諦めかけますがそれでも諦めきれません。

劉備玄徳と諸葛孔明ですね、三顧の礼を持って迎え入れるわけです。

松崎半三郎氏は営業面に強いのです。

製造部門を森永太一郎・営業部門を松崎半三郎として、企業が大きく成るにはただ売れば良いと言う物では有りません。

仕入れ等も効率良くこなしていかなければ成りません。

原材料をアメリカから直接仕入れるように松崎氏は提案し森永氏もこれを了承しますが、当然、金が有り余ってるわけではありません。

銀行融資を受けないといけませんし、アメリカと取引するには信用保証も必要です。

それらを全て松崎氏が担当し順調に進めて、その後の森永製菓の繁栄が作られて行くのです。

そして9歳下の松崎氏に2代目社長をお願いし、その後は森永・松崎体制が続くわけです。

そこでこの言葉が作られるのです。

「森永の松崎か、松崎の森永か。森永は二人にして一人である」

森永太一郎氏は昭和12年9月24日に73歳で人生に幕を閉じるのですが、その時に息子を病室によんで言った言葉が、

「困って居る人がいたら助けてあげなさい」

という事です。

松崎半三郎氏も立教大学で奨学金制度を設けられています。

森永の松崎か松崎の森永か2人の1人

(▲昭恵さんのお父上松 崎昭雄氏) (▲昭恵さん)

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安倍晋三氏の後継者問題

安倍晋三氏と結婚して昭恵さんですが

前にも言ってますが子作りに問題発生です。

昭恵さんは不妊治療等に色々やられたみたいですが、今では諦めています。

昭恵さんの問題みたいに言われてますが、晋三氏の方に問題があるとも考えられます。

男は調べられるのも厭で子供が出来ないのは女性ばかりに問題が有るみたいに言われますが男性側にも色々問題が有るようです。

どちらでも良いので、せめて女の子でも出来れば優秀な婿を取って後継者と出来るのですが仕方有りませんね。

そこで岸信介氏の長女だったゴッドマザーと言われる洋子さんの出番です。

安倍家の三男の信夫氏を実家の岸家の跡取りとしてますが、今度は政治家の安倍家の跡取りが居ないのです。

そこで目を付けたのが洋子さんにとって長男の寛信氏の長男で孫の寛人氏です慶応の法学部を卒業しロースクールに進学してます。

一時期は後継者として決まった様に言われていましたが、本人にはその意思がなく司法試験を受けて弁護士を目指しているようで政治家にはなりたくないと言っています。

母親の洋子さんとして次に考えられるのは岸家に養子にだした三男・信夫氏の長男で信千世さんと言う方が居られます。

慶応の商学部卒でフジTV勤務です。

慶応在学中も準硬式野球部に所属するスポーツマンです。

TV局に就職しマスコミの立場から政治を見てみたいとの考えもあった様です。

近いうちに安倍晋三氏の秘書官を経て晋三氏の後継者でしょうかね?

(▲後継候補・岸 信千世氏)   (▲法曹界を目指す安倍 寛人氏)

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子供の無い安倍家のペットロイくん

安倍家にはペットとしてミニチュアダックスフンドの“ロイ”くんがいます。

主にお母さんの洋子さんに懐いているとか?(えさを与える強みでしょうか?)

安倍晋三氏は実家の渋谷区富ヶ谷1-30-29の富ヶ谷ハイムとなって居ます父安倍晋太郎氏の未亡人洋子氏の持ち物です。

1階に兄安倍寛信氏一家、2階に晋三氏一家、3階が母洋子さんの住まいとなっています。

 

現在安倍総理は首相官邸では無くこちらでの生活が多いようですね。

まとめ

安倍晋三首相についてまとめて見ましたが、

戦後の最長の首相として実績を残されることが、

確実となってきております。

そのバランス感覚など、ポスト安倍に続く方が、いまいち力が弱いのですね!

今後の活躍に期待いたしましょう!

最後までお読みいただきありがとうございます。

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