倉本聡(脚本家)のドラマ「走る」の感想は如何に?富良野塾の成果や経歴・年収が気になる?「秘密の履歴書」とは?

こんにちは!今日もご訪問いただきありがとうございます。

 

北海道の中央に位置する富良野市に住む演出家の倉本聡さんが、

NHK・プロフェショナル 仕事の流儀に出演されます。

「北の国から」「前略おふくろ様」などテレビ史に残るヒット作を
送り出してきた倉本さんです。

脚本家の倉本聰さんが自然の大切さを学習する場にしようと、

「C・C・C富良野自然塾」(北海道富良野市)を開講し、50年の年月をかけゴルフ場跡地に約150,000本の木を植えて昔の生態系に戻す活動などに取り組んでいたのは有名な話です。

環境教育事業は、

「フィールド内に整備した実践的環境教育施設で、人間が本来持っている力『五感』を使い、様々なワークショップを行う中で昂めていきます。」

とあります。

その卒業生の「これが最後」との覚悟で臨む舞台が、

「走る」なのです。

富良野塾生24期生  卒業公演だったのです。

作・演出:倉本 聰

出 演:富良野塾生

音 楽:倉田信雄

特別出演:富良野市民

今回は、倉本聡さんの、経歴や富良野塾、家族などを紹介いたします。

スポンサーリンク

倉本 聡のwiki風プロフ

倉本聰ー2

◆ 名前:倉本 聡(くらもと そう)

◆ 本名:山谷 馨(やまや かおる)

◆ 生年月日:1934年12月31日(82歳)

◆ 出身地:東京都(代々木)

◆ 学歴:東京大学文学部美学科卒業

◆ 職業:脚本家、劇作家、演出家、

◆ 家族:夫人・平木久子(女優)

1959年、ニッポン放送に入社したのですね、局では「倉本聰」のペンネームで脚本家としての活動を行なっていたのです。

1973年、大河ドラマ執筆中にNHKとトラブルになり、北海道・札幌に転居したんですね。

東京が嫌になって北海道・札幌に雲隠れしたと表現するかともおられます。

札幌で生活するうちに北海道に住みつくことを決意して、転居先を探していたある日札幌の飲み屋で飲んでいると、飲んでいた小父さんに富良野を薦められ、翌日行ってみたら気に入ったので富良野への移住を即決めた。

このことは、北海道を知ってたからなのか、知らなかったからなのかは確かではありませんが、
北海道に生まれた自分は、“正解”と声を大にして言いたいですね!

それは、少し寒いですが、自然が豊かで、適度に田舎で、北海道らしさがたくさんあるからなのです。

塾生が、熱中できる環境があるからです。

欲を言えば、海がないことが玉に瑕でしょうか(笑)

1977年、富良野に移住し、1984年からは脚本家と俳優を
養成する「富良野塾」を主宰しているのです。

富良野塾ー1

富良野塾については次に記述いたします。

スポンサーリンク

富良野塾とは?

塾生は受講料は無料で2年間共同生活をし、
夏季は地元の農協や農家などの協力を得て畑仕事を手伝い
塾生自らが生活費を稼ぎ出し、

富良野塾ー2

冬季は集中講義などの他、ふらの演劇工場で行われる
演劇公演に向けた稽古をおこなうスタイルだったのです。

毎年約20名の若者が全国からオーディションを経て入塾し、
北海道富良野市街から20キロ離れた谷あいに、
2年間の共同生活をしながら学んでいました。

富良野塾は、倉本の体力の限界を理由として
2010年3月末をもって閉塾することが2007年3月末の卒塾式で発表され、
発表どおり2010年に26年の歴史に幕を閉じた

富良野塾ー3

閉塾後は卒塾生を中心に再編された「富良野GROUP」にて全国公演の脚本・演出を手掛け、2016年の『屋根』全国公演を最後に演出から退き脚本に専念する意向である。

富良野塾起草文

起草文ー1
大変わかりやすいのが特徴と思います。

スポンサーリンク

富良野塾の建物

富良野塾の建物は、小さな薪小屋から大きなスタジオ棟まで、すべて塾生達自身の手によって建築されました。
その丸太小屋建築と石積みの技術は今では、外注の仕事もこなす程の腕前です。

富良野塾の生活

朝ミーティングによって始まる富良野塾の一日は、夏場は農作業や建築、木の人形作り、夜にダンスと倉本塾長の講義が行われ、そして冬場に集中的に芝居の勉強と舞台作りが行われました。
【 お問合せ先 】
〒076-0173
北海道富良野市西布礼別 富良野塾/(有)F.C.S.
Tel:0167-29-2135/Fax:0167-29-2123

富良野塾GROUPとは?

2010年春、26年の歴史に幕を下ろした富良野塾。

幕を下ろしたと言っても活動を休止するわけではなく、

プロの世界で羽ばたき始めた塾生OB達を更にサポートし、

本当の実力をつけさせたいという倉本塾長の願いが結実したものです。

いわば富良野塾のステップアップで、表現者のプロ集団として

心機一転さらなる高みを目指して、倉本塾長以下一丸となって

芝居作りに創作活動にと、日々精進しているのが“富良野GROUP”です。

 

スポンサーリンク

倉本聡氏の代表作は?

『前略おふくろ様』

自身の母の晩年と死をモデルにしたドラマ『りんりんと』がきっかけで、
晩年の田中絹代と深い交流を持ち、
この交流が『前略おふくろ様』のヒットにつながる。

『北の国から』

フジテレビ系で放送された日本のテレビドラマです。

東京から故郷の北海道に帰郷して、大自然の中で暮らす一家の姿を描いたもので、
富良野は北海道の観光名所となり、ドラマに使われた丸太小屋が再現された他、
富良野市農業協同組合駅前4号倉庫を改造した「北の国から資料館」が設けられた。

『昨日、悲別で』(きのう、かなしべつで)

日本テレビ系列で1984年3月9日から放送された倉本聰脚本のテレビドラマ(全13回)です。

夢を追いかけて東京に出た若者と、故郷に残って地元で働く若者の心の交流を描いたストーリーです。

『ライスカレー』

1986年にフジテレビ系の『ナショナル木曜劇場』(当時)枠で放映されたテレビドラマです。

銚子工業高校野球部の同期3人のカナダで寿司屋の板前をしている飯塚次郎から、
カナダでライスカレー屋を始めるからカナダに来いと誘いを受ける事から始まる奮闘劇です。

『優しい時間』

フジテレビ系の「木曜劇場」枠で放送された日本のテレビドラマです。

商社のニューヨーク支店長を務める主人公の会社を辞めて東京の自宅を処分し、
故郷富良野で喫茶店『森の時計』を開いた奮闘記です。

『風のガーデン』

フジテレビ系の「木曜劇場」枠で放送された日本のテレビドラマです。

余命わずかな主人公の医師が、絶縁状態になっている北海道・富良野市の
家族の元に戻るまでを描いた作品で、緩和医療を題材としている。

多数ありますが代表的な作品に絞りました。

スポンサーリンク

倉本聡の受賞歴

主なものは以下です。
• ゴールデンアロー賞(1976年、『前略おふくろ様』)

• 毎日芸術賞(1976年、『前略おふくろ様』)

• 昭和51年度(第27回)芸術選奨文部大臣賞(1976年、『前略おふくろ様』)

• 山本有三記念路傍の石文学賞(1982年、『北の国から』小説版)

• 小学館文学賞(1987年、『北の国から ’87初恋』小説版)

• 紫綬褒章(2000年)

• 第21回向田邦子賞(2002年、『北の国から 2002遺言』)

• 旭日小綬章(2010年)

 

倉本聡さんの家族は?

奥さんは女優の平木久子さん。舞台などで活躍されている女優(演劇集団・円所属)さんみたいですよ。

倉本由美さんというイラストレーターをされている娘さんがおられます。養子のようです。

お父様は、山谷太郎さんといって、「春潮」という俳号を持つ俳人で、
「野鳥歳時記」という著書も残されていますね。
倉本聡氏の年収の公表はないですが、1000万円は、下らないでしょうね。

スポンサーリンク

まとめ

若手の俳優と脚本家を養成するために、1984年に、富良野市布礼別にて「富良野塾」を私財を投じて開設し、26年にわたって主宰したのですが、

今年、塾生から芥川賞作家が誕生しました。山下澄人さんですが、以下のサイトにあります。

⇒「芥川賞 山下澄人の「しんせかい」に決定!富良野塾とは?高倉健との関係は?」

三度の飯よりもタバコとコーヒーが好きなことで知られており、写真のたばこの絵は、何か重みが感じられますね!

元気でおられるので、テレビでは「いつだって、人間は面白い」と言っておりますが、どんな意味があるのでしょうか?

見逃せませんね!

最後までお読みいただきありがとうございます。

スポンサーリンク

関連記事はコチラ