荻原次晴ラジオで号泣したその思いと見栄晴と呼ばれた気分は?【しくじり先生】

こんにちは!今日もご訪問いただきありがとうございます。

優秀な兄と比べられ逃げた過去が面白いのです。

スキーノルディック複合の荻原次晴先生が人と比較される苦悩と本気を出す事の

素晴らしさを涙ながらに語る授業として、

「しくじり先生」に出演されます。

なにも“しくじった”とは思いませんが、双子で金メダルを取りに行ったのは、

この話以外にはありませんので、かなりの希少価値だと思います。

また、次晴さんの感動シーンも“純真で若々しく”共感を呼びます。

この授業も“感動シーン”となることが期待されます。

早速、迫ってみました。

 

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荻原次晴のwiki風プロフ

◆ 名前:荻原次晴(おぎはらつぎはる)

◆ 生年月日:1969年12月20日(47歳)

◆ 出身地:群馬県吾妻郡草津町

◆ 学歴:早稲田大学人間科学部卒業

◆ 職業:現スポーツキャスター

◆ 家族:既婚、子3人。

◆ 所属:スポーツビズ

双子の弟として生れるて、姉3人もおられます。

実家は金物屋さんなのですね!

幼少時代は双子の兄・健司とともに体操教室で器械体操を習っていたのです。

小学5年生から草津スポーツ少年団でスキージャンプを始め、

翌シーズンは兄・健司もスキージャンプを始めたそうです。

以後は兄が先を先行し、次晴さんは練習熱心でなかったので伸び悩んでいたのです。

1994年、全日本選手権で3位入賞し、その後ノルディック複合・ワールドカップに初出場。

翌1994-1995年シーズンのワールドカップチェコ・リベレツ大会(1995年1月14日)と

ノルウェー・オスロ大会(1995年2月9日)では準優勝を果たしました。

いずれも優勝は健司で、兄弟のワンツーフィニッシュとなったのです。

1995年ノルディックスキー世界選手権団体戦金メダリストです。

1998年長野オリンピック日本代表。

1992年アルベールビル・1994年リレハンメル両冬季五輪・ノルディック複合団体2大会

連続金メダリストの荻原健司は、双子の実兄です。

 

(▲左・次晴さん)

引退後はタレントに転身し、スポーツコメンテーターとしての活動を開始したのです。

2008年11月1日に14歳年下の会社員の女性(当時24歳)と結婚しております。

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荻原次晴の号泣は?

2014年2月、テレビ東京のソチオリンピックメインキャスターを務め、

いずれも無難にこなしております。

ノルディック複合の個人種目(グンダーセン・ノーマルヒル)において渡部暁斗が、

1994年・リレハンメル五輪以来、日本代表選手としては20年ぶりとなる銀メダルを獲得したのです。

次晴は現地のスタジオ生放送中に喜び、

「日本の皆さん、応援有難う御座いました!」

と感謝しつつ

「本当にこの20年間、ノルディック複合はですね、

皆さんにあの、期待して頂きながら…メダル獲れなかったんです。

ほんとに苦しかったんです…ノルディック複合は!」

と感極まって人目憚らず男泣きしたのです。

「あきと、ホントに良かったよ!!」と号泣・嗚咽したこのシーンが、

後々も大きな話題ともなったのです。

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次晴が見栄晴と呼ばれた?

2014年ソチ五輪 ノルディック複合で渡部暁斗が銀メダル獲得

思わず荻原次晴が涙のシーンでそれは起こったのです。

たまたまこのシーンリアルタイムで見てましたが、荻原さんが泣き崩れる直前、

女子アナ が次晴さんのことを、見栄晴さんって呼んでたのですね!

自身もノルディック複合の選手として、長野五輪に出場した経歴を持つ荻原氏です。

ただ、日本人選手の同競技の個人でのメダルは、

1994年のリレハンメル大会で河野孝典選手が銀メダルに輝いて以来、4大会連続でゼロなのです。

まるで、その責任をすべて一人で背負い込んでいるほどの責任感の強い次晴さんなのです

ツイッターの言葉を紹介します。

◆ 「昨日は素晴らしい日ですね!

たまたまこのシーンリアルタイムで見てましたが、

荻原さんが泣き崩れる直前、女子アナが次晴さんのことを、

見栄晴さんって呼んでて、見ててかなり戸惑ったんですが(笑)、誰か気づかなかったかな…」
◆ 「ちゃんと、次晴さんって呼んでるよね??

見栄晴には聞こえないけど…」

 

◆ 「「見栄晴さん」て言われた本人も気付いてないくらいだから。

でも最初のほうで「見栄晴さんも・・」って言ってるよ。

家族で大爆笑しました。

ガチさが伝わってきていいんじゃないですか?

心からの実況に感動した瞬間でした。」

ようするに、次晴さんには聞こえていなかったという事です。

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荻原次晴の教訓と感謝とは?

6月11日の「しくじり先生」は、壮絶な人生で生徒の涙を誘った!

早速、教訓を見て見ましょう!

【荻原次晴の体験した地獄ー1】;兄・健司と1万回間違われて地獄を見た?

双子であることは世間は知らないために毎日否定されていた。

そこで、母にこんなことを言ってしまったのです。

「なんで俺を双子に産んだんだよ!」

お母さんは、ただ謝って涙するだけだったのです。

そこで今回の授業テーマは

”優秀な人と比べられたとき逃げ出さなための授業”

としたのです。

【優秀な人と比べられた時にしくじるNG行動-1】:

               「まだ本気出していない」と現実から逃げる。

【優秀な人と比べられた時にしくじるNG行動-2】:

               努力している人を否定して自分を正当化する。

◆ 一番つらかったことは、”健司と比較すらされないこと” 告白したのです。

◆全日本で3位になってもオリンピック選手に選出されず、悔しさを味わった時の教訓!は、

”心から悔しいと思えたら本気を出せた証!その悔しさは必ず次につながる”  

でした!

◆ 満足は「本気」の最大の敵!

長野オリンピックは、健司は残念がってましたが、

次晴は目的をすべて果たしガッツポーズでゴールインしたのです。

長野オリンピックで4位と7位入賞して、人生で初めて双子で熱い握手を交わしたのです。

<周りと比べられた時に本気を出せないあなたへ!>

「比べられる=期待されれいる」

比べられることを喜びに感じて本気を出してみよう

そして、本気を出した人には必ず起きることは、

「まだ知らない自分と出会えて次の本気で人生は晴れる!」

と教えるのです。

ただ次晴がいることを知ってほしかっただけなのです。

かつてうちの大事なお袋に「なんで俺を双子に産んだのか!」と罵り、

本当に僕はバカでした!

と号泣したのです。

オリンピックが終わって、健司の前で

”今までの俺を許してくれ!”

と謝り、次いでお袋さんのところへ飛んで行って

”ほんとうのごめんな!”と謝ったそうです。

うちの家族、そして健司があっての僕の人生だと思い感謝している。

と結んだのです。

これまでにない感動的”しくじり先生”だったのです。

この人生を映画化し、全国民に学んでほしいと思います。

【最後に健司さんの言葉】がありました。

 

「本気を出せば十分戦えると信じていた。」

「私の知らないところでずいぶん比較されて生きてきたんだと思う」

「弟の次晴がいたことで、五輪に繋がった」

「次晴がいたからこそ私の人生だった!心から感謝を申し上げる。」

「次晴これまでありがとう!次晴頑張れ!俺も負けないぞ!」

”ありがとう!”のガッツポーズで結んだのです。

感動的でした!!!!

まとめ

元選手のスポーツコメンテーターさんは多いですが、

これほど純真な方はおりませんよね!(笑)

自分の苦労した種目だけではなく、多方面のスポーツの放送で、

感動を素直に伝えてくださることでしょう!

“しくじり先生”では

「優秀な人と比較されたとき、どうすればよいのか?」

このテーマは誰にも共通したもので、共感を呼ぶことが請け合いです。

楽しみですよね!

最後までお読みいただきありがとうございます。

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