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叩いていい理由にはならないが、ソロパートでいつまでもドラマーが一人で叩き続けて止めさせようとスティックを取り上げても手で叩き続けたから叩いたってことらしい
世界的トランペッター・日野皓正が中学生を往復ビンタ https://t.co/pVC5kagb6E #niconews
— DinoSwift (@dino_swift) August 30, 2017
74歳の世界的ジャズ・トランペット奏者が、
4カ月にわたって中学生のビッグバンドを指導すると言うイベントが。
そして1夜限りで夢の共演を果たす――この企画なら、人気も当然だろう
コンサートの終盤のアンコール!
笑い声が絶えず、穏やかな会場を一変させたのは、
「世界の日野」が放った髪を掴みの往復ビンタだったのです。
行ったお何が起こったのでしょうか?
事件の起こった背景や実情に迫ってみました。
早速、迫ってみました。
興味ある記事は以下にもあります。
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日野 皓正のwiki風プロフ

◆ 名前:日野 皓正(ひの てるまさ)
◆ 生年月日:1942年10月25日(74歳)
◆ 出身地:東京都(アメリカ・ニューヨーク在住)
◆ 学歴:日本ジャズ学校
◆ 職業:トランペット奏者
◆ ジャンル:ジャズ
◆ 活動期間:1964年~
日野 皓正の経歴
◆ 父は、タップダンサーでトランペット奏者の日野敏。
弟は、ジャズ・ドラマーの日野元彦。
ベーシストの日野賢二は次男。
◆ 私生活では20歳の時に知り合った恋人と最初の結婚をする。
その後再々婚した現在の妻はアメリカ人。
◆ 1964年 – 白木秀雄クインテットに参加し、
その後ベルリン・ジャズ・フェスティバルに出演し世界のジャズ界から注目を浴びた。
◆ 1975年から、活動の拠点をアメリカに移す。
70年代後半からはフュージョン分野にもチャレンジ、新鮮なポップ感覚も披露した。
現在もニューヨークを中心に活躍中。
◆ 1989年 – 日本人ミュージシャンとしては初めてブルーノート・レコードと専属契約する。
◆ 2000年 – 大阪音楽大学短期大学部客員教授就任。
◆ 2004年 – 紫綬褒章を受章。
◆ 2010年 – 尚美学園大学客員教授就任
◆ 2013年 – 自身のレーベル J LANDを創設。
御兄弟もミュジシャンの家族なんですね!
報復ビンタの実態は?
暴行を食われる動画が公表されております。
ドラム演奏中の中学生によって行き、ドラムスティックを取り上げ、
投げてその後に往復ビンタをしたのです。
しかし、このように叱られると普通ならひるむはずですが、
その中学生は、素手でドラムをたたいているのです。
この情景は想像しにくいのですが、日野氏は再度にじり寄り、
髪を掴んで何かを叫び(馬鹿野郎!)、数秒話し合っているようですが即座に、
往復ビンタを加えたのです。
大の大人が中学生に暴行を加えているようですが、
動画で見る限り、中学生にも何かお問題があるように思います。
日野氏の演奏後の言葉は?
日野氏は終焉後、暴行を加えた理由いついて、生徒の保護者に
「生徒のソロパートの演奏が長くなりすぎたので、止めようとした。」
と説明したのです。
おそらく、ドラムと言う目立つパートを任かされた生徒が、
調子に乗って冗長なドラムソロを勝手にやり始めたのではないでしょうか?
それをまず止めるために最初はスティックを取り上げただけでしょうが、
中学生はそれの反抗し、おちょくるように手でドラムをたたき続け、
日野氏を怒らせてしまったのではないでしょうか?
4ケ月の間、練習を重ねて40人の中学生が成果を発表する場での出来事です。
暴行は良くないのですが、自分勝手な行動も批判されなけばならないと思います。
学習会とは?
8月20日、「世田谷パブリックシアター」で行われた
「日野 皓正presennts”Japan for Kids”」でのことでした。
このコンサ-トは、世田谷教育委員会の主催で、
2005年から毎年行われており、今年で13回目を迎えたのです。
世田谷区が取り組む「新・才能の芽を育てる体験学習」だったのです。
<子供たちの夢を育み>
<忘れられない体験>
がキャッチフレーズで、日野氏を中心に数名の講師が、
『ドリームズジャパン(ドリバン)』の指導に当たっていたのです。
4カ月にわたって練習した成果を発表する会場だったのです。
ビンタされた中学生は?
「ドリバン」関係者の言葉では、
「今回のコンサートだけではなく、その中学生は、
練習中にも日野氏から手を挙げられたことはあったようです。
ドラムの技術が高く、天才肌で、個性的な性格から
周囲と衝突することも少なくはなかった。
『ドリバン』の運営スタッフの中にも、彼につらく当たる人もいました。
中学生が担当するはずの曲が、折り合いお悪い担当者のよって、
別の子に振り分けられることもあった。
そうしたストレスもあって、本番で延々とスロを続けるという
行為になったのかもしれません。
その中学生も反省しており、終了後に日野さんに謝罪したはずです。」
と話すのでした。
中学生の父親は、
「ジャズを理解している人からすれば、うちの子が悪い。
私もそう思っております。子供も反省しております。」
中学生は、
「自分が悪いんだと納得しております。
日野さん自身はすごくいい人ですが・・・・
ただ、今の剣で、『ドリバン』がなくなるという事態には、
絶対なってほしくないです。」
と述べるのでした。
参加者(父兄)は?
「お金を払って見に行ったのに、連れて行った自分の子供が、
あんな暴力行為を見せられてしまった。子供に、
『あのおじさんなんで子供を叩いてるの?』
と聞かれてましたが、うまく答えられなかった。」
と語り、幼い子供さんたちには決していい印象を与えなかったのです。
まとめ
いかがでしたか?
どちらにも欠点がりそうですが、
“ビンタ”を張る前に別の方法がなかったものでしょうか?
父兄やお子さんが多数おられます!
◆ 日野 皓正のwiki風プロフ
◆ 日野 皓正の経歴
◆ 報復ビンタの実態は?
◆ 日野氏の演奏後の言葉は?
◆ 学習会とは?
◆ ビンタされた中学生は?
◆ 参加者(父兄)は?
についてまとめました。
最後までお読みいただきありがとうございます。