宮崎駿氏が 沖縄・久米島に子ども交流施設 3億円出資! 反戦思想との関係は?

宮崎駿宮崎駿監督は、2013年公開の映画
『風立ちぬ』を最後に引退を宣言した。

宮崎駿氏が、久米島町の銭田森林公園に

「子どもたち向けの交流拠点施設」

の建設を進めていることが分かった。

町は、銭田森林公園の一部約1万平方メートルを提供。

宮崎氏は、総事業費3億円を
かけて施設を建設し、町に寄贈する。

建物は、約30人の受け入れができる2階建てで、
延べ床面積約1千平方メートル。

今後、住民との話し合いの場を定期的に開き、
できるかぎり事業計画に意見を取り入れるという。

施設建設を発案した堀野氏が昨年12月、
宮崎氏と役場職員を仲介して計画が始まった。

「島の豊かな自然に触れ合える広い場所を」

との提案に、町は銭田森林公園案を提示。
ことし4月、双方が計画を進めることになった。

このことは、現在政治問題化している
「辺野古基地問題」

と関連があるのだろうか?

一方では、

宮崎駿氏は、
「辺野古基金」共同代表就任し、

移設反対の世論高める用としております。

これは、

2015年5月8日、沖縄・在日米軍基地再編における
普天間飛行場の辺野古移転計画に反対する
辺野古基金の共同代表に就任したのです。

同年7月13日、日本外国特派員協会の要請に応じて
東京都小金井市にあるスタジオジブリで記者会見を開き、

基地移転だけでなく沖縄に負担が
集中している状態そのものを批判し、

かつて鳩山由紀夫内閣が提案した
県外移設の実現を強く求めたものです。

世界的に有名なアニメ作家で監督である
宮崎駿氏の作風は、

一貫して子供に向けて作品を作り続けてきました。

これについて、

「厳しい現実世界からの、
子供の一時の逃げ場が必要だ」

という趣旨の発言をしており、
児童文学を愛読し、

「アニメーションは基本的に子供の物」

と公言し、その作品はほぼ一貫して
子供の視点に立ち、
悪役を大人にすることが多いのです。

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一方、
戦史・兵器マニアとして知られ、
第二次世界大戦から前の甲冑・鎧兜や
兵器(装甲戦闘車両、軍用機など)
に造詣が深いのです。

作風では、作品には常に新しい試みを盛り込み、
「昔のような作品を見たいなら、
昔のやつを見てればいい。」

「僕はもう既成の起承転結のよくできた
ストーリーの映画なんか作りたくない」

「自分の作品の大衆性が低くなっている」

と発言しております。

1989年、手塚治虫が亡くなった時、
漫画では自分も影響を強く受けた、
と全面的に肯定した上で、

アニメーション作家としての手塚治虫を、
店子(たなこ)を集めてムリやり
義太夫を聴かせる
落語の長屋の大家と同じであると、
痛烈に批判しております。

さらに、
「ぼくはディズニーの作品がキライだ。
入口と出口が同じ低さと広さで並んでいる。
ぼくには観客蔑視としか思えないのである」

その一方で、近年は賞賛の発言が見られるのです。
スタジオジブリが協力した
ディズニー・アート展の特集番組では
「芸の力」、「本当に驚きましたね」、
「尊敬の念は消えません」
など賛辞を述べている。

このように、超有名な国際的作家を
一刀両断に批判するのは、

それなりの哲学・識見がないとできませんが、

実は、

学習院大学時代に
社会主義や共産主義などの左翼運動を知り、
大学で過ごした4年間で
少しづつ傾倒していったという。

冷戦崩壊期の1989年に起きた
天安門事件および東欧革命に大きな衝撃を受け、

社会主義陣営の歴史的敗北という
現実を前に思想的修正を
余儀なくされたとする向きもあ理ますが、

しかしこうした「左翼から転向した」
という言説については
宮崎自身が再三にわたって否定する発言をしているのです。

このようなことを総合すると、

その功績の偉大さもさることながら、

沖縄・久米島に子ども交流施設建設、譲渡。
辺野古基金の共同代表に就任。

手塚治虫、ディズニー批判等などと、
作風を見ても、何か共通の脈動を
感ぜざるを得ないのは自分だけでしょうか?

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