勝野 功子(細川流盆石 家元)のwiki風プロフと経歴!家族や年収が気になる?

こんにちは!今日もご訪問いただきありがとうございます。

“ニッポンに行きたくて行きたくてたまらない”外国人を世界で大捜索!し、
お連れするテレビが評判で、人気を博しておりますが、

日本人でさえ、それを見て再確認しております。

今回は「盆石」に見せられた、アメリカ人が、50歳の時に
八戸のアートギャラリーで盆石を見て感動したのがきっかけで細川流盆石を学び、
外国人初の師範にまでなったそうです。

現在はアメリカで盆石を広めるため、盆石の展示会で教えることもあるそうで、
どんな展開になるか大変興味が湧くところです。

日本庭園には、正に、盆石の原型があるわけで、巨大な盆石(?)を見て感動し“涙”したそうですが、
それを見た私達日本人は、改めて、日本文化の素晴らしさを再確認いたしましょう!

早速、迫ってみました。

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勝野 功子のwiki風プロフ

勝の功子ー1

◆ 名前:勝野 功子(かつの よしこ)

◆ 本名:御代功子

◆ 生年月日:年月日(歳)

◆ 出身地:東京都

◆ 職業:細川流盆石家元代行、名古屋中日 文化センター、東京池袋サンシャインシティ文化センター講師.

 

一時、母方の 祖父母の住む北海道小樽市に疎開していたそうです。

[著書]

「細川流盆石作品集第一編」
「細川流盆石作品集第二編」
「細川流盆石奥伝の図と勅伝、中伝の打ち方の変遷」
「アイスランド極北の詩島紀行」(小学館スクウェア)

 

盆石とは?

黒い盆の上に9~10㎝ほどの石を山の容にして、置くことで山々を表し、
浜辺は白砂で表し、羽根や小さなホウキで流れや波が押し寄せたように描くことで、
雄大な海や川を表すのですね。

日本人の美しい風土の中で自然を愛し、自然と親しみ、
人生と自然を融合させてきました心を表現したものなのですね。

この日本人の自然観を黒塗りの盆上に表現し、
床飾りとして独自の道で進化してきたのです。

盆石ー2

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盆石の歴史は?

初代家元

(▲ 初代家元 勝野博園)

推古天皇の時代に、百済国より献上されたもののようですから、
西暦では、628年以降という事のなりそうです。

百済国は、古代の朝鮮半島南西部にあった国家(346年- 660年)との記録ですから、
660年以前となりますね。

盆庭石(箱庭のようなもの)の時代を経て、足利八代将軍義政により、
「盆石」という様式が確立されます.。

江戸時代中期には、日本各地の景勝地を盆石で表現する、
「盆山石図式」、「盆山百景図」等々、盆石の図版が発行され、
「石」だけの時代から「砂」の時代へと移っていったのでした。

江戸時代
<▲【盆画 『富士陽光』家元 勝野功子作】>

盆石は、時代と共に生き、家屋の変化と共に、洋風空間にも調和する多様な
形式の盆石が作られるようになってきました。

現在、家元・勝野功子は、関東、東海、関西に教室を持ち、日本各地に、
支部七十八カ所が創設されており、門下生一同で、日本古来の伝統を守っております。

 

海外の活動は?

2008年10月7日より12日までの6日間、ミラノ市のPAC(Padiglione d’Arte Contenporanea)で、
伝統的な日本の美展が開催されました。

細川流盆石は、入り口近く一番広い部屋に、盆石15景、盆画12点を出品しました。

盆石 ミラノ展ー1

(▲盆石 ミラノ展)

ネットの反応は?

https://twitter.com/taskprayer8/status/789413280443793409

https://twitter.com/shopmas44835649/status/798777125549449216

日本中で、開催されているようですね!

 

 

まとめ

細川流盆石家元代行・勝野 功子さんに関する情報が少なく、十分にお伝えできませんでしたが、
初めてお目にかかる方には、「盆石」の概要をお知らせできたのではないでしょうか?

日本の文化が、最近は外国のもよく知れ渡り、評判になっておりますが、

正に、盆石もその重要な文化の一つになるのではないでしょうか?

ほんの概要だけですが、皆さんの参考になればありがたく思います。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

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