STAP細胞の真実を小保方春子が「あの日」で告発!若山教授が取り下げた理由とは?

小保方氏(出典:http://blog.esuteru.com/tag/STAP%E7%B4%B0%E8%83%9E)

 

小保方晴子氏の手記「あの日」が1月28日に発売された。師弟関係にあった2人の間に何があったのか?内容は、恩師である若山照彦氏を告発するものなのです。今、なぜ(?)小保方晴子氏が2年間の沈黙を破って全ての真実を語ろうとしたのか?

自殺まで考えた彼女が、口を開くには相当の覚悟と意味があるのでしょう!検証してみました。

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なぜ「あの日」なのか?どんな意味があるのか?

 

「STAP細胞はありますッ!」あの声が耳にこびりついているのは私だけではないでしょう!

悲痛な、しかも美しくもある覚悟が込められた叫びでした! あれから2年たちましたね!

世界の若者に大きな期待(若返る可能性?)を持たせました。

世界的なヒロインから一転して、地獄に突き落とされ、理化学界からも追放された小保方晴子氏(32)は、理化学研究所の元研究員で、STAP細胞論文の著者です。

初めての手記「あの日」が、1月28日に講談社から刊行されました。

 

手記「あの日」は、小保方氏の幼少時代から現在に至るまでが克明に綴られており、15章・253ページにも及んでおります。

「あの日に戻れるよ、と神様に言われたら、一からやり直せば騒動を起こさなかったのか」

と自問している。これが手記のタイトル「あの日」の由来のようです。

あの日(出典:http://www.huffingtonpost.jp/2016/01/26/obokata_n_…)

「あの日」の前書きでは、一連のSTAP細胞騒動について「世間を大きくお騒がせしたことをおわびします」と謝罪し、

自らの視点、自らの言葉で、騒動の過程を詳細に説明している。

さらに悲壮なのは、一時は、その重すぎる責任から自殺まで考えたと述べている。

STAP細胞サポートで自殺した理化学研究所発生・再生科学総合研究センター長の笹井芳樹副センター長の件もあり、

その想いはひしひしと伝わってくるものがあります。。

また、批判を受けていたのと同時期、指導を受けていた笹井芳樹氏が自殺したことについては「笹井先生がお隠れになった。8月5日の朝だった。金星が消えた。私は業火に焼かれ続ける無機物になった」(220ページ)と当時の心情を描いた。

「あの日」は、小保方晴子氏の恩師であり、STAP細胞論文の共著者でもある若山照彦氏(山梨大学教授)を”告発”する内容となっているのが奇異にも感じられます。

恩師としての若山氏への尊敬や憧れの念が、次第に不信感へと変わっていった経緯が、決死の覚悟で綴られている。

 

若山照彦氏との出会いとは?

 

小保方晴子氏は、早稲田大学大学院から研究者としてスタートしました。

再生医療を研究テーマに選び、博士課程修了後にはハーバード大学にも留学しております。

ハーバード大のバカンティ教授から研究発表をされ、同教授の助言から、後のSTAP細胞のアイディアの基本部分を得たという。

小保方氏は2011年4月に理研CDBに入所し、若山照彦氏の研究室に所属したことがきっかけで、恩師と出会うことになる。

そこで小保方氏は、STAP細胞の存在を裏付けるキメラマウスの作製を何度も試みたが失敗に終わり、「キメラマウスは作製できない」と結論付けようとした。

しかし、若山氏が諦めず、独自の方法で実験を続けたのだと記述されております。

そして若山氏から、「キメラマウスができた」という連絡を受ける。

若山氏は小保方氏に、

「特殊な手法を使って(キメラマウスを)作製しているから、僕がいなければなかなか再現がとれないよ。世界はなかなか追いついてこられないはず」

と笑顔で語ったという。

この時、小保方氏は細胞が増える気配すら感じたことがなかったので、若山氏の発言には非常に驚いたという。

もしこの時点で、小保方さんが、もう少し経験があり洞察力が身についておれば、違った展開になっていたことでしょう!

それ以降、STAP細胞の研究には若山氏が不可欠となり、研究の主体性も若山氏ヘと移行してゆき、研究の方向性は、

完全に若山氏にその指導権は握られ、小保方氏の思いとはかけ離れていってしまったのです。

これも自分の責任なので、ここで研究を続けていくには仕方のない選択肢であったのです。

小保方氏が教えを請うと、

「小保方さんができるようになっちゃったら、もう僕のことを必要としてくれなくなって、(僕の下を離れて)どこかに行っちゃうかもしれないから、ヤダ」とか、

「僕ばかり成功してごめんね。フフフ」

若山先生のところに来た研究員は皆、胚操作を若山先生から直接指導を受け技術を習得していた。しかし、私だけは胚操作を教えてもらうことはできなかった。 (中略) キメラマウスの作製に成功した頃、「私にもキメラマウス作製の胚操作を教えて下さい」と若山先生に申し出ると、「小保方さんが自分でできるようになっちゃったら、もう僕のことを必要としてくれなくなって、どこかに行っちゃうかもしれないから、ヤダ」といたずらっぽくおっしゃった。

など、自己顕示欲を見せたり、小保方氏が自分の研究室に残ることに強いこだわりを見せ、執拗に説得されたという。

この辺りは、人間のエゴ、男のわがままが垣間見えると言っても過言ではないでしょう?

この頃から、よほど「師とは思えぬ言動」が次第に見られるようになり、小保方氏は若山氏に対して違和感を持ち始めた。

周りの先輩たちも「様子がおかしい」と口にしていたという。
STAP細胞(出典:http://blog.goo.ne.jp/eh2gt72w/e/3b9d429980953f5c9…)

科学誌「ネイチャー」への論文掲載と、手記「あの日」での告発

科学者の夢でもあり、一つのステップにもなっている科学誌「ネイチャー」への発表が持ち上がり、準備を始めたのです。

そのため、小保方氏は何度も何度も、STAP細胞からのSTAP幹細胞樹立を試みたが、やはり再現することができず失敗に終わるのです。

そのことを若山氏に相談したが、

「生物学実験は、場所が変わるとできなくなったりすることがある。それが生物実験の面白さである」

と、取り合ってもらえなかったそうである。

 

このことは、生物実験の特性と言えばそれまでですが、一般的科学の世界では俄かには信じ難くも思えるのです。

結果、英科学誌「ネイチャー」に掲載されたのは、若山氏しか実験に成功していない、幹細胞株化のデータであったのです。

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このような十分検証もしていない段階で、世界の科学誌に発表した責任は、指導的立場の若山氏に向かうことは避け荒れないと思慮するが間違いでしょうか?

その後、小保方氏は一躍 ”時の人” になり、散々もてはやされた挙句、一転して ”疑惑の人” となったことは、世間の知るところである。

 

その時点で、若山氏が最初に自信が持てないと表明したのは、私たちの脳裏に鮮明に焼き付いております。

小保方氏は、論文の写真の掲載の仕方などについてミスがあったと反省しているが、若山氏の豹変ぶりには愕然としたと述べております。

疑惑の目が自身に向けられないように、小保方氏が不利な状況になるような情報をマスコミへリークし続けたのだとか。

若山氏が作った細胞を、自ら調べて「おかしい」と発言している異常な事態にも、同じ分野の研究者たちも、報道機関さえも疑問を呈さない。

 

この現象は、どのように考えればよいのでしょうか?何か、厚い壁(仲間?同僚?同士?)が感じられ、若いか弱い女子が孤独にさせられた真新しい現象です。

誰も傷つきたくないという「保身」というエゴが支配している世界なのでしょうか?

社会風潮の中で、悪人は誰、善人は誰、という構図がすでに出来上がっていることを証明していたと、小保方氏は手記「あの日」の中で述べております。

記者から取材依頼の手紙が届いた。その中には「なぜ私たちが毎週のようにSTAP騒動を取り上げてきたか。理由ははっきりしており、読者の評判がよかったから。嫌らしい言い方をすれば、STAPを書けば部数が伸びました。アンケートも毎週取っていますが票数はずば抜けていい数字」と書かれ、「私は小保方さんをモンスターのような存在として書いてきました」とはっきり書かれていた。

 

STAP細胞論文に携わった人間の中で、ただ一人、捏造犯としてバッシングされ、自殺を考えるほど、精神的にも追い詰められた小保方氏でありました。

その決死の告白が「あの日」に詰まっているのです。 この告発を世間はどう捉えるのか。そして何より、小保方晴子氏の恩師であった若山照彦氏は、この手記を読んでどういう反応をするのだろうか。

 

確かに、小保方氏は、世界に向けて大きなミスをしました!日本人の恥をさらしました。

しかし、あなたは、すべてを失い、禊も済みましたので、今後はどんどん真実を赤裸々に述べて、挑戦してください。

応援いたしましょう!!

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