村田諒太が世界初挑戦に判定負けを喫す!おかしいと世界メディアが騒然?

こんにちは!今日もご訪問いただきありがとうございます。

5月20日に有明コロッシアムで行われた

「ボクシング・WBA世界ミドル級王座決定戦」

を見られた方も多いと思います、

ロンドンごり男子ミドル級金メダリスト・村田諒太選手

フランスのアッサン・エンダム選手との12回戦がありました。

自分も重量級の日本人選手が世界戦を戦うのは珍しいので、

楽しみにしていたのです。

3回に“ダウン”を奪うなど一方的な試合に、解説者も「十分差はついてますね!」

と勝利を確信していたのですが。結果は2;1でハッサンの判定勝ちとなったのです。

日本中が“呆気にとられた瞬間”だったのです。

早速、迫ってみます。

共謀罪とは?反対される問題点も含めて分かりやすく解説!の記事はコチラ

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村田諒太のwiki風プロフ

◆ 名前:村田諒太(むらたりょうた)

◆ 生年月日:1986年1月12日(31歳)

◆ 出身地:奈良県奈良市

◆ 身長:182,8㎝

◆ 学歴:南京都高等学校、東洋大学経営学部経営学科

◆ 職業:プロボクサー

◆ 家族:奥さん(桂子)、長男、長女の4人家族。

◆ 所属:帝拳ボクシングジム

ロンドンオリンピックミドル級金メダリストです。

両親が共に公務員の家庭に3人兄弟の末っ子として生まれる。

小学校6年生の時に両親が離婚(両親は離婚後も同居中である)、

村田は当時のことを崩壊した家庭環境が辛くて嫌でたまらなかったと振り返っている。

5歳から水泳に親しみ、奈良市立伏見中学校では陸上部に所属、

1500メートル走で奈良市大会4位の成績を残すが長続きしなかったそうです。

高校卒業後は東洋大学経営学部経営学科へ進学しボクシング部に所属。

2004年に全日本選手権初優勝

2011年7月のインドネシア大統領杯にミドル級(75kg)で出場し初の国際大会優勝

2012年のロンドンオリンピックで村田は第2シードとなり、

8月2日に行われた2回戦から出場

8月11日の決勝戦ではブラジルのエスキバ・ファルカオを

14-13で破り金メダルを獲得したのです。

プロ転向を宣言し、三迫ボクシングジムに所属することとなった。

「ボクシング・WBA世界ミドル級王座決定戦」

村田諒太選手は、ロンドンオリンピックの金メダリストであり、プロ転向後

試合を重ねてきて、00勝2敗で圧倒的次席和げてきました。

ミドル級の世界ランクは、2位です。

一方、アッサン選手は、同級1位で戦歴も圧倒的の多く、試合前から負けるかもと思われておりました。

しかし、試合公社の村田選手は、ガードをしっかりと固めて、ポイントを稼いでいったのです。

4ラウンドでは、左フックで、ダウンを奪ったのです。

その後は、アッサム選手の守り一辺倒で軽いパンチの手数は多かったのですが、

素人目に見ても有効性は少なかったのです。

ベンチ側も、最後に倒すようにとの指令は必要ないと思ったいたのです。

判定は、117:110、111:116、112:115と2;1で負けてしまいました。

有利とみて手数が少なかったのが判定負けを喫する理由となったしまったのです。

村田選手は、5ラウンド、7ラウンドでは発散がロープに寄りかかるように

ダウン寸前だったのです。

その時のスコアは驚きです。一審判は逆の評価ですし、

8回以降は連続して村田選手が低いのです。

世界中で「判定結果がおかしい」と報道されて、裏にないかがあるのではともささやかれているのです。

試合後、WBAはヌジカムと村田に対し再戦するよう指令を出した。

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ネットの反応は?

https://twitter.com/mSMTCAY6hfXdrVt/status/865905814946496513

村田諒太のコメント

「ダウンを取って手応えもあった。
相手のジャブが採点で取られたんだと思う。効いたパンチは1つもなかった。
今後については気持ちの整理が必要。
多くの人に支えられてきたし、自分だけで決められることでもない。
ただ、五輪後簡単な道を歩んできたわけではない。努力もしてきた。そう簡単に『もう1度やりたい』とは言えない。」

アッサン・エンダムのプロフ

◆ 生年月日:1984年2月18日(33歳)

◆ 身長:180cm

◆ 出身:カメルーン

◆ 居住地:フアンス

◆ 階級:ミドル級・元WBO世界ミドル級王者。現WBA世界ミドル級王者

◆ 戦績:38戦36勝2敗(21KO)

アッサンのコメンント

「敵地ということもあり自信はなかったが、自分の中でポイントをたくさん取っていると思った。
ジャブを使って距離を取る作戦だった。
村田のパンチは1ランドで右があたったくらい。手数では自分が勝っていた。」

「村田選手は右のパンチは強いが、コンプリートな選手じゃない。自分はそこをついた。

彼は若く未来のあるボクサー。キャリア12戦でこの試合を経験したことで得たものもある

だろう。将来は王者になる選手だと思う。」

と賛辞を贈ったのでした。

12銭とこだわったのは、自分の方が経験は豊富だと言いたかったのかもしれません!

若いと言っても2歳しか違わないのです

WBAのヒルベルト・メンドサJr会長が“再戦指令”

 
WBAのヒルベルト・メンドサJr会長が “再戦指令” を出した内容は以下の通りです。

 メンドサ会長はツイッターで、自身がつけた採点表を公表し、

117―110で村田の勝ちとした上で「DIRECT REMATH(再戦)」と書き添えた。

「私は公正な採点が下すことができないスポーツに怒りと不満を覚える。

私の採点では村田が117―110で勝っていた。

村田諒太と帝拳プロモーション、日本のボクシングファンにお詫びしたい。

ひどい判定がもたらすダメージをどう回復させたらいいか、言葉が見つからない。

私はチャンピオンシップ委員会に再戦を要求する」

と声明を発表した。

まとめ

実は村田選手は、20日という日が“厄日”なのだそうです。

今までアマチュア戦では、2敗しかしておりませんが、それが“20日”だったのです。

2012年10月20日(アメリカ)、2015年6月20日(カナダ)の2試合です。

ちょっと“イヤな気分”も微かにあったのですが、こんな形の負けは想像もしていなかったですよね!

ボクシングに信頼性に疑問符を投げかけた一戦となったようです。

村田の成績はプロになって、これで13戦12勝(9KO)1敗となったのです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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