芥川賞 山下澄人の「しんせかい」に決定!富良野塾とは?高倉健との関係は?

こんにちは!今日もご訪問いただきありがとうございます。

第156回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が19日、東京・築地の新喜楽で開かれ、

芥川賞は山下澄人氏(50)の「しんせかい」に決まった。

しんせかいー1

2月下旬に都内で贈呈式が開かれ、受賞者には正賞の時計と副賞100万円が贈られる。
大変内容の恋“私小説”です。

山下さんの人生も、含蓄のある者のようです。

早速、調べて見ました。

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山下 澄人のwiki風プロフ

山下澄人ー2
◆ 名前:山下 澄人(やました すみと)

◆ 生年月日:1966年1月25日(51歳)

◆ 出身地:兵庫県神戸市

◆ 学歴:神戸市立神戸商業高等学校(現神戸市立六甲アイランド高等学校)卒

◆ 職業:劇作家、小説家、俳優、

倉本聰の富良野塾第二期生。1996年より劇団FICTIONを主宰しております。

2011年より小説を発表しはじめ、以後度々賞の候補に上りました。

2012年「ギッちょん」で第147回芥川賞候補、同年初の創作集『緑のさる』で
第34回野間文芸新人賞を受賞。

2013年「砂漠ダンス」で第149回芥川賞候補。同年、「コルバトントリ」で第150回芥川賞候補。

2016年、『鳥の会議』で第29回三島由紀夫賞候補、「しんせかい」で第156回芥川賞受賞。

 

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富良野塾とは?

倉本聡ー1
1984年に脚本家の倉本聰が私財を投じて開設した脚本家や俳優の養成施設です。
倉本聡は、代表作「前略おふくろ様」、「北の国から」などで知られる脚本家・劇作家・演出家でゆうめいです。

1935年1月1日生まれの80歳で、東京府(現・東京都)出身です。

本名は、山谷馨(やまや・かおる)といいますが、ニッポン放送で、ディレクター・プロデューサーとして勤務する一方、ペンネーム「倉本聰」で脚本家としても活動を開始しました。

フリーの脚本家に転身後、ヒット作、NHK大河ドラマ「勝海舟」制作に関わりますが、内部衝突の末に降板してしまいます。その後は、北海道に住居を移し、「北の国から」など、北海道が舞台となる数々の名作ドラマを世に送り出してきたのです。

この富良野塾は、
2年間共同生活をしながら、脚本の創作や俳優としての稽古をするのです。
富良野塾ー1
富良野塾ー2
富良野塾ー3

授業料は無料だが、地元農家から依頼される農作業や炭焼きで生活費を稼いでいる。

これが結構きつかったようですが、“志”が大きいので熟成は、率先して頑張ったのです。

2010年4月4日、25期生卒塾をもって閉塾。卒業生は380名を数えました。

閉塾の理由はいろいろありますが、一説には、入塾生のレベルが年々低くなり、カルチャーセンターに入るような感覚で来ているということを実感させられたことが原因だとか。

また、倉本さんの年齢を重ねて、精神的な疲労が重なったことも一つの理由でした。

しかし、

富良野塾の活動は、2006年より活動を開始した卒塾生による演劇創作集団「富良野GROUP」によって継承されているのです。

また、富良野塾の卒塾生で富良野を活動拠点とする俳優・スタッフによって2009年に演劇集団

「富良野塾OBユニット」が結成され、富良野GROUP公演に参加する一方で、

独自の作品作りや、演劇を通したワークショップ、コミュニケーション能力の向上、

学校演劇鑑賞会用のパントマイム劇などを開催している。

意外にも知らなかった方が多いのではないでしょうか?

「しんせかい」の要旨は?

19歳の山下スミトは演劇塾で学ぶため、船に乗って北を目指す。

辿り着いたその先は【谷】と呼ばれ、俳優や脚本家を目指す若者たちが自給自足の共同生活を営んでいた町なのだ。

苛酷な肉体労働、【先生】との軋轢、そして地元の女性と同期との間で揺れ動く思い。

気鋭作家が自らの原点と初めて向き合い、記憶の痛みに貫かれながら綴った渾身作!なのです。

「しんせかい」の中で、スミトは「谷」にいる。北海道にある具体的な場所だ。町だ。

しかしスミトは町とは呼ばず「谷」と呼ぶ。地面が揺れると、人が突然、「じめん」と呼ぶように。

彼はその「谷」で、神でも、グルでもない、只の人間を、「先生」と呼びながら、2年を過ごした。

脚本の創作や俳優としての稽古したり、農作業や炭焼きで生活費を稼いでいるのだ!

その時間のことを、今、スミトは静かに思い出している。震災の後で・・・・

ある書評家は、山下澄人さんの書いたものを、すべて「震災小説」だと思って読んでいると言うのです。

「震災」について一言も書いているわけでは無い、にもかかわらず、
それでも彼の書くすべては「震災小説」だと。

そして、そのことが、最もあらわになったのが、この「しんせかい」だとも・・・

このように、思い出いしながら表す私小説なのです。

高倉健との関係は?

 

ツイッターにはこんなことが綴られておりました。

「二十歳ぐらいのとき、富良野塾というところで俳優の勉強をしていたとき、酔って、高倉健!待ってろよ!って叫んだ。

それを知った倉本聰さんが高倉さんにそれを伝えた。

富良野塾を出るとき高倉さんが卒業の祝いにテープを送ってきてくれた。

そこに、高倉健は待ってるぞ、と高倉さんの言葉があった。」(2014.11.18 21:15)

「富良野塾へ参加する切っ掛け」があった!

大変面白いので、そのまま載せます。

「高校を卒業してアルバイトをしていた。去年の暮れ、新聞に、これから向かおうとしている場所の募集記事が載っていた。」

「その新聞は家に間違えて配達されたものだった。間違えて配達された新聞にその記事はあった。それは俳優と脚本家、脚本家というものが何なのかよくわからなかったので辞書で調べた、を目指すものを育てる知らない名前の人の主宰する場で、馬の世話をするというのと、生まれて育った土地から遠く離れたとこにあるというのと、入学金や授業料が一切かからないというのにひかれて応募して試験を受けたら受かった。」

「俳優って」

「俳優になりたかったのかどうなのかはわからない。映画は好きでよく見ていた。ブルースリーの映画や高倉健の出るやくざ映画は学校をさぼって見に行ったりしていた。かっこいいなぁと思いながら見ていた。俳優になりたいというよりブルースリーになりたかった。高倉健になりたかった。」

動機はいろいろですが、面白いですね!芥川賞受賞者の卵の行動です。

⇒YAMASHITA SUMITO のツイッターはコチラ

ネットの反応は?

描写が素晴らしいとの感想が印象的で、読まないでいられませんね!

まとめ

富良野は、北海道の中心に位置する寂しい田舎です。

寒さも、日本で一番低い温度を記録した上川地方(旭川)に位置し、寒さは半端じゃないのです。

塾生の中から受賞とは皆さんが喜んでおられるでしょう!

非日常な世界で特殊な人たちの集まりの中で、みんな色々と夢や希望を持っている若者の集団ですから、
考え方や夢も様々で、雑多な人間模様が醸し出されていることでしょう?

どんなストーリーが待っているのか、面白そうですね!

最後までお読みいただきありがとうございます。

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